日本のアニメ表現の基礎を築かれた方々の訃報が続きます。
2011年5月16日には、美術監督でデザインオフィス・メカマンを主宰する中村光毅(なかむら・みつき)さんが亡くなりました。
享年67歳と、出崎統監督と同年齢でした。
商業アニメはキャラクターを見せるものですから、背景画を描く美術にはなかなか目が行かないもの。
しかし近年の傾向を見ても分かるとおり、日本的なアニメ表現にとって美術の果たす役割は非常に大きなものです。
そうした方向性にいくひとつのきっかけも、中村さんがタツノコプロで美術課長として手がけられた『科学忍者隊ガッチャマン』などの美術がつくったと思います。
『ガッチャマン』で中村さんはSFメカとしては初のメカニックデザインとしてもクレジットされています。大河原邦男さんが当時新人として入ってきて、背景マンからメカデザイン専門職へとコンバートされて連名になったのです。中村光毅さんはこうしたSFアニメ文化ができる以前の60年代から、『マッハGoGoGo』('67)のマッハ号をデザインされているので、メカデザイナーの草分けでもありました。2008年のウォシャウスキー兄弟による実写映画化『スピード・レーサー』でも、40年を経たマッハ号はほとんど変化がなく、そのデザインセンスがいかに卓越して完成度が高かったか分かるかと。これらは、日本のSFアニメの歴史を語るときに欠かせない重要な事実でしょう。
中村光毅さんのお仕事でもっとも知られているのは、やはり1979年の『機動戦士ガンダム』だと思います。
時間的にも予算的にも決して恵まれた制作環境ではなかった作品ですが、スペースコロニーや宇宙要塞の存在感、ホワイトベース内部の軍艦でありながら独特の生活感をもつ手ざわりは中村さんの美術なくして成立しなかったものです。
同作ではホワイトベースが地上に降りてから各地を転々とする「旅もの」になります。
これも当時のロボットアニメとしては異色でした。味方側の基地があって、その固定ポイントに敵側が次々と攻めてくるというフォーマットが多かったのです。ガンダムでは廃墟、荒野、瓦礫の街、海上、砂漠など美術的な負担を減らす台所事情的な配慮がなされていますが、観客がひと目で「あっ、今回はこんな場所に移動したんだ」と分かるのは、美術のパワーによるものなのです。
キャラは色数の少ないセル画で、表現できることは限られています。
一方、人間は今は何時ぐらいか光の加減で常時チェックしてますし、新しい場所に行けば温度、湿度などの空気感を気にします。建物ではどれくらい古いか新しいか、どんな文化が背後にあるのかなどに目が行くでしょう。もともと視覚とは環境変化があったとき、即時適応する手がかりとなる情報を得るためのもので、その伝達媒体は「空気」を通って変化する「光」です。
アニメの場合、これらは色彩と明暗、質感を描いた美術がまずきちんと押さえます。それにセル上の色彩設計と撮影が連動して最終画面のニュアンスを決めるのです。このニュアンスのないアニメは薄っぺらいものになります。
たとえばアムロが砂漠を放浪するときに喉が渇くシーンがありますが、それに共感できるだけの高温・低湿度に感じられるのは、まずは美術の色合いによる印象が大きいのです。ホワイトベースがジャブローから旅立つときの夕景が美しく、しかし今後の運命を何か予感させるような不吉な気持ちも同時にわくのも、美術の力によるものです。
こうした美術のパワーは中村光毅さんがつちかってきたお仕事を見れば一目瞭然で、まさに美術の巨匠の名にふさわしいお仕事をされてきました。
バンダイチャンネルの作品で、中村光毅さんの代表作をあげるとすれば、豊かな自然風景や欧州など文化的な建造物が楽しめるものとしては『ニルスのふしぎな旅』、
ちょっとエッチな学園コメディの生活感や楽しさなど気分的なものを描いた『まいっちんぐマチコ先生』になるでしょう。
SFアートの頂点として特筆したいのは、『伝説巨神イデオン』です。
テレビシリーズでは事情があって四条徹也というペンネームを使ってますが、劇場版は本名でクレジット、大スクリーンに耐えるだけの描きこみは『スター・ウォーズ』によるSF映画ブームの時代だった影響もあり、圧巻の一語です。
特に「発動篇」の中心となるバッフ・クラン側の戦艦バイラル・ジンや超新星兵器ガンド・ロワなどは、それが写っているだけで画面に目が吸い寄せられるほどの情報密度で、必見でしょう。
他に中村光毅美術が見られるタイトルを列記しておきます。『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』、『機甲戦記ドラグナー』、『ダーティペア』、『ダロス』、『クラッシャージョウ』、『太陽の牙ダグラム』、『逮捕しちゃうぞ』etc……。
ご本人は気さくでユーモラスな方だったので、巨匠あつかいには照れ笑いされるかもしれませんが、どうしてもそう言わずにはいられませんでした。
心からご冥福をお祈りします。では、また次回(敬称略)。
第29回 追悼・中村光毅美術監督 SFアート&デザインの草分けにして巨匠
第28回 『ほしのこえ』デジタル時代の旗手、新海誠監督の自主制作アニメ
新海誠監督の最新長編アニメ映画『星を追う子ども』が5月7日から公開されます。従来とは作風が少し違っていて、名作アニメなどでおなじみの伝統的な絵柄で地底世界への冒険の旅を描いたファンタジー作品です。
新海誠作品の多くもバンダイチャンネルで見ることができるので、この機会に復習をかねてその歩みをたどるのも
良いのではないでしょうか。
まず何といっても必見は自主制作アニメ『ほしのこえ』……2002年、たったひとりで作り上げた30分の短編です。
(C)Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
宇宙軍の人型兵器のパイロットに選ばれた女子中学生が戦闘のため地球を出発。残された同級生の男子と携帯メールを手がかりに想いを伝えあう。だが、宇宙で距離が離れるにつれて送受信の間隔があいていく……。
SF的な設定とストーリーではありますが、中心に据えれているのはピュアな感情です。特にふたりでかつて見た風景を中心に、背景画と撮影処理で彩られたビジュアルは鮮烈な印象を残します。
最初は下北沢の小劇場公開からスタート。DVD化と前後してアニメ雑誌の表紙に取り上げられ、エポックメインキングな作品に位置づけられるようになっていきました。2000年代序盤はデジタル技術が急進し、インターネットや携帯電話が大きくメディアのあり方とコミュニケーションを変えていった時期です。主人公ふたりの対話や手を握るなどの接触よりも、携帯メールによる文章から触発される想いの方にウエイトがおかれた『ほしのこえ』は、まさにそうした時代性の変化を象徴した作品だったのです。
(C)Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
商業アニメも同時期、ペイント、撮影、編集、音響を中心に工程が急ピッチでデジタル化されていきました。急激に低価格・高性能化したPCの普及をバックにしたことでしたが、結果的にプロとアマチュアのハードに本質的な差がなくなったのです。すでにパソコン雑誌では簡易な3DCGツールがフリー配布され、自主制作アニメの世界にもデジタル化の波は来ていたとはいえ、趣味の域という認識が大半ではありました。ところが『ほしのこえ』のその充実した映像美は、ソフトウェア的な面でもプロ・アマの本質的な差がジャンプし得ることを実証してしまったのです。
商業アニメ制作は集団作業で、職人的な作業の積み重ねで支えられています。専用の機材や外注システムなどのインフラも前提でしたし、個人作業中心の小説や漫画とは対局にあって、両者には越えられない隔たりがあると思われてきました。
ところが個人発で作家性を打ち出しつつ、なおかつクオリティ的にもビジネス的にも成功をおさめるアニメ作品が出てきたのですから、既成概念の壁を崩す大事件でした。
以後、個人制作アニメは注目すべきジャンルとして確立し、続く作家も登場するようになりました。『イヴの時間』など他にも成功事例はあるものの、残念ながらこれまでの商業アニメに比肩されるような豊かな作品が続々と登場するという事態はまだ起きていません。その理由を原点の『ほしのこえ』に戻って考えると、目指すテーマや姿勢が「個人制作」という方法論とベクトルが一致していたことが重要だったことが分かります。
つまり、「個人の感性を前面に押し出し、物語とシンクロさせる」「自分の目で見た風景の美しさを絵に置き換えて表現し、登場人物の感情に乗せる」といったことが、作品の様式やサイズとマッチしていたのです。言ってみれば表現と内容がイコールとなるまで凝縮されているからこそ、既成の商業アニメ作品とは異なる手触りのある作品だと観客に認知され、驚きを生んだということではないでしょうか。
その後、新海誠監督は個人制作ではなく規模の大きな作品へと挑戦を始めますが、
作家としての特徴や魅力は『ほしのこえ』に結晶化していると思います。
そんな原点を念頭に置きつつ、9年を経た監督がどんな高みをめざそうとしたのか、
最新作『星を追う子ども』でぜひ見届けてみたいですね。では、また次回(敬称略)。
第27回 『あしたのジョー』 テレビアニメを変えた出崎統監督のマイルストーン
2011年4月17日、出崎統(でざき・おさむ)監督が亡くなりました。享年67歳。
2年前のテレビアニメ『源氏物語千年紀 Genji』では平安時代の奔放な恋を変わらぬ激しさと哀切あふれる映像で描き出し、
まだまだこれからと思っていたのに、残念でなりません。
まだ26歳という若さで初監督を担当したのは1970年のテレビアニメ『あしたのジョー』です(クレジットはチーフ・ディレクター/制作は虫プロダクション)。
日本を代表するタイトルですが、この作品には出崎統監督のナイフのように鋭い輝きを放つ才気がみなぎっています。
時代は高度経済成長が頂点を越え、大阪の万国博覧会という繁栄を象徴したイベントのある一方で、冷戦構造と核ミサイルの恐怖があり、いくつかの国家が東西陣営に引き裂かれていました。
ベトナム戦争が米軍の介入で泥沼化し、安保闘争や公害問題などが世を騒がす激動の時代なのです。
第二次世界大戦の終結直後のベビーブーム世代(団塊の世代)が20代となって、反戦・反体制をバネにポップカルチャーが世界中で花開きます。
風来坊の不良少年・矢吹丈が、東京近郊のビルや道路を「つくる」労働者が集まるドヤ街に現れ、
そこからボクシングを通じて世の常識をくつがえしていく物語構造も、そうした底辺と頂点のギャップを投影したもの。
梶原一騎・ちばてつやが少年マガジンで連載した原作漫画版は、当時の学生運動の闘士たちにバイブルのように読まれていました。
出崎統監督は戦中生まれですがほぼ同世代で、そうした激変期の空気を吸収しつつ若々しい情熱を矢吹丈に託し、ギラギラした情念を発散させるようアバンギャルドな表現にあふれたフィルムとなっています。
ストーリー的にはジョーがもとボクサーの丹下段平と出逢うことで才能を開花させ、やがて宿命のライバル力石徹とリングで決着をつけるという、原作の前半を描いていますが、残念ながらまだ連載が継続中の原作に追いついてしまい、カーロス・リベラ戦までの全79話で終わっています。
出崎統監督は1980年に『あしたのジョー2』として力石戦直後からカーロス戦を描き直し、ホセ・メンドーサ戦の「真っ白に燃えつきる」という有名なラストまでをアニメ化し、決着をつけました。『ジョー2』は出崎統監督が2つのジョーの間に確立したアニメ文法・技法の集大成のような作品で、現在に至るも大きな影響を及ぼしています。
ですが、ここではやはり原点の第1作目の方に注目してみたいです。
1970年はアニメ文化的にも大きな節目でした。技術的にはトレスマシンという動画のエンピツ線のニュアンスをセル画上へカーボンコピーできる機械が導入され、荒々しい「劇画タッチ」が可能となりました。カラーテレビの普及率が急増して白黒作品が姿を消し始めた時期でもあり、アブノーマル処理など色彩を中心にした新しい表現が可能となり始めていました。出崎統監督のインタビューには「ニュース番組にも実写にも負けない映像を狙いたい」(BD-BOX第2巻解説書)という言葉が残っていて、
こうした新しい表現は過去のアニメの概念を打ち破り、その革新的な想いをかなえる武器となったのです。
結果的に『あしたのジョー』には実験的な表現が次々に登場し、細部までコントロールが行き届いてクリーンに磨き上げられた昨今のアニメとは正反対の「野性味にあふれる世界」が現出しました。極太でかすれた描線がパンチのスピード感を代弁し、クロスカウンターの衝撃は顔面を歪ませ、勝負の一瞬は永遠の時として静止画で定着される。セル画のキャラは、あるときは自然な色彩を失って黄色や赤など鮮烈なモノトーンに染め抜かれ、エアブラシを「布海苔」経由で吹いた異色の背景が異常心理を押し出し、丈の眼光やリングの照明や夕陽はギラギラと輝く。
映像全体が、たたきつけてくるようなある種の圧力を放っているのです。過剰なまでの表現は決してリアルではないのに、真に迫るものを感じることでしょう。これぞテレビアニメが既成概念を打ち破り、新たな表現の可能性を開拓していった代表作なのです。その奔放な映像テイストは、矢吹丈の常識をくつがえす生き様や、自分よりも強い者に向かって容赦なく牙をむき、放たれるパンチとも強くシンクロしています。つまり映像トータルが「語り口」として伝えてくる情熱がある。こうした部分が、野性味・自由を管理社会によって封じられかけ、鬱屈していた当時の若者を強く引きつけたのです。
60年代まで日本のテレビアニメは「キャラクターを見せる」ことが主眼で、子どものものと思われがちでした。
それが70年代に入り、『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』など数々の常識破りな作品で青年以上の観客層を確立していきますが、文化史的には『あしたのジョー』はその若者向けアニメ文化への突破口に位置づけられるアニメです。
このアニメ版がどれだけ印象的で、後世に影響をあたえたか。それは「『あしたのジョー』ってこんな感じの作品」という印象の多くが、実はアニメ版からのものだということからも如実に分かります。連載開始当初、漫画版のジョーは非常に少年的なキャラでした。アニメ版は連載から2年3ヶ月経過してからのスタートのため、ジョーの風貌や等身を大人びた時期に仕切り直したことも大きな要因でしょう。
映像の描き方や視点のとり方も実写映画に近いものでした。第1話「あれが野獣の眼だ!」でドヤ街へと矢吹丈が入っていくシーンは、まるで黒澤明監督の『用心棒』のように暴風が吹き荒れ、ドキュメンタリー映画のごとく主人公にカメラが密着しています。他にも世界のいろんな映画や映像から斬新な映像表現を意欲的に取りこんでいます。
可能な限りマテリアルを駆使して「光と影」「静と動」といった激しいコントラストの衝突の中から「時間と空間」をかもし出す出崎演出。その頂点にあたるのが、第50話「闘いの終り」から第51話「燃えつきた命」にかけての力石徹戦のクライマックスです。沈み込んだ力石徹の身体から汗が糸のように引き、トドメのアッパーカットが命中。受けた丈は宙に大きく舞う……と、劇場版にも転用され、アニメバラエティ番組でも何度となく引用された映像は、ご覧になった方も多いと思います。今年公開された実写版も「アッパーで宙を舞う丈」というイメージで描かれていましたから、多くがそういうイメージを抱いているはずです。
しかし、もし原作漫画をお持ちでしたらぜひ見比べてください。実はパンチを受けた矢吹丈は宙に舞ったりせず、よろめいて倒れるのです。ただし、原作を改変してしまったというのも正確ではないでしょう。漫画を読んだときに読者が脳内にいだく印象を、実時間や色や音などをそなえたアニメの表現に置き換えたときには、こうした落差が生じるということです。
第50話「闘いの終り」より 第51話「燃えつきた命」より
なお、後年の『ジョー2』でもジョーは宙を舞いますが、第51話(絵コンテ担当の崎枕は出崎統監督のペンネーム)冒頭だけは第50話ラストを繰りかえさず、宙に舞わない原作準拠でリメイクされています。「漫画の印象をどう映像にコンバートするか」を研究するとき、なかなか奥の深いサンプルでもあります。
『あしたのジョー』を経た出崎統監督は、『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『宝島』『ベルサイユのばら(後半)』といった数々の名作を手がけます。
そのおよそ10年の実作を通じ、映像センスと技法磨きあげ、時間と予算的に制約の多いテレビアニメの基礎文法となる技法へ高めていきます。
その中には業界のスタンダード的なものになっていくものも多いです。
しかし出崎統監督は、技術者的な発明や開発をしたかったのではないのです。あくまでもその胸の内にたぎる情熱が「観たいのはこれだ!」という映像を求めた。
結果としてそれに応えようとスタッフがいろんな技術を磨きあげていった。『あしたのジョー』第1作には、宝石の原石のような輝きが濃密に詰まっていて、見飽きることがありません。
テレビアニメを変革した偉大なこの作品、ぜひご自身の目で確かめていただきたいなと思います。
そして出崎統監督とその作品に興味を抱いていただければなと。
では、また次回(敬称略)。