第41回 イラスト並みの高密度作画を具現化した劇場映画
そこには『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』('84)も登録されていて、嬉しくなりました。
これは「アニメのハイクオリティ化の歴史」を考える上で必見の作品と言えるでしょう。
「版権」という業界用語があります。アニメ本編で使われるものとは別に描きおろされたセルやイラストの総称で、
大本は菓子や運動靴などアニメの商品用にスタートしたもの。
当初、版権用の描き手は本編スタッフとは別に専門職が用意されていました。そのころのアニメは子ども向けという認識だったので、キャラのニュアンスがテレビと多少違っても、あまり気にされていなかったのです。
ところがアニメ専門雑誌が創刊される1977〜1978年ごろに、事情が大きく変わり始めます。
中高生以上がアニメ商品を買うことになった結果、キャラクターデザイナーや作画監督など絵柄のニュアンスが重視され、オリジナルスタッフが版権イラストを描く機会が増えていくのです。
そんな「版権」は止め絵ということで、動くフィルムを意識したアニメ本編とは異なる密度感で描かれることが多くなりました。たとえばキャラクターはカゲ指定をもう一段深くつけ、場合によってはBL(ブラック)でニュアンスをつける。メカでは設定書では簡略化されたディテールやマーキングなどを、現実の兵器に即して描き足す。こうした描きこみは、サービス精神の現れでした。
ところがそういう時代になってしばらくすると、今度は「画の重み」(前回「クオリティ」の定義としたもの)が版権と本編で違っていることが、新たに気になり始めるわけです。
TVシリーズ『超時空要塞マクロス』のヒットを受けて劇場版の制作が完全新作ベースで決まったとき、劇場の大スクリーンに耐えるクオリティをという議論とともに、おそらくこの暗黙の欲求にどう応えるかが大きな問題になったはずです。
当時24歳だった河森正治監督(石黒昇と共同)を筆頭に、20代の若いスタッフたちはこの『愛おぼ』で、全編を通じて「版権」並みの描き込みをエネルギッシュに敢行しました。イラストのように細かく描きこまれたリン・ミンメイが鮮やかに動き、ディテールたっぷりの背景の前で歌い、しかもそれがホログラムのような未来感覚あふれるステージ演出でショーアップされる。さらに作画監督の板野一郎はTVシリーズをはるかに上回る密度とスピード感でメカや爆発、ビームなどのエフェクトを濃密に描きぬき、巨人族とバルキリーの戦闘で板野サーカスを見せる。交戦シーンがステージ上の歌唱と交錯するとき、一種のグルーブ感が生じていきます。
それは明らかにレベルが違う「ハイクオリティ時代」の到来を告げる映像でした。高密度な映像が歌や音楽との相乗効果で爽快感をもたらすという芸風は、そのまま『マクロスF』にも受け継がれていますが、今にして思えば情報に情報を重ねていくことで、相互の共鳴作用が「厚み」を出すということが狙いだったのでしょう。単純に情報の量を増やすことだけに意味があったわけではないことは、強調しておきたいことです。
この1984年は、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』や宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』とアニメ映画が豊作で、しかも時代を変革させる性質のものばかりでした。しかも前年末でOVA時代が幕を開け、高額だったビデオソフトの購入動機という観点でも、いっそう「クオリティ」が問われていくようになります。そんな時流の中で『愛おぼ』は、ハイクオリティという観点でひとつの頂点を描きぬいた映画だったのではないでしょうか。では、また次回(一部敬称略)。
第40回 ハイクオリティアニメの開拓者『超時空要塞マクロス』
地上波デジタル放送へ完全移行した初のシーズンであるためか、 「ここまで作り込まないといけないものなのかな」と、つい思ってしまうほどです。 「クオリティ」にはさまざまな意味がありますが、ここでは画(映像としての絵)が観客の目をひく「重み」全般のことと定義しましょう。
元来アニメーションとは自然界に存在する事物を抽象化し、記号化したうえで誇張して表現するものです。 たとえば自然界では明度差は連続的に変化しますが、セルアニメでは1色のベタ塗り、または1〜2色を加えてカゲやハイライトでシンプルに表現します。つまり情報を「軽く」しているわけです。その分、たとえば作画枚数をかけてキャラクターの表情や仕草をていねいに追って芝居をつけるというような芸術です。情報量の多いディテールを足して「重み」をつけることは、ある種矛盾した行為かもしれないのです。
この状況が変化してクオリティの重みが増し始めるのは1970年代後半、今で言うハイターゲット(中高生以上)の観客が誕生して以後です。 特にSFアニメの分野では、戦闘シーンでキャラに代わって宇宙戦艦やロボットなどの空想メカが主役となることが情報量の増大を引き起こしました。想像力ベースでデザインされたSFメカの実在感、戦闘の臨場感は、絵の中のディテールを増やすこと、そして現実世界に存在する現象を省略せず緻密に追うことによって確実に増すからです。
これは実写ではミニチュアや合成を駆使した特撮(特殊撮影・特殊技術)の分野です。海外ではスペシャルエフェクトと呼ばれ、『スター・ウォーズ』('77)のヒット以後は「SFX」と略されるようになります("FX"はエフックスと音読できるため)。 第35〜36回で取りあげたアニメーター金田伊功さんも、この文脈の中でメカや爆発などが映える戦闘の独特な表現で頭角を現し、専門職としてのエフェクトアニメータのパイオニアとなります。後に「メカ作監(作画監督)」と呼ばれる職種とほぼイコールです。
そのエフェクトアニメを次の段階へとブレイクさせ、ハイクオリティの時代を招来したのは、1982年の『超時空要塞マクロス』でした。 メカ作監・板野一郎さんは、すでに『伝説巨神イデオン』の重機動メカ“アディゴ”が高速で移動しながらミサイルを斉射するメカアクションで話題を呼んでいました。この『マクロス』で、その緻密な作画は「板野サーカス」と呼ばれるようになります。
(C)1982 ビックウエスト
第1話「ブービー・トラップ」では、敵宇宙戦艦の表面装甲の継ぎ目や微妙なうねりなどを省略せずに描き、しかも爆発シーンではそれが内圧でめくれて構造材を見せつつ、内部の機械類の破片が散らばるという、設定書に描かれていない部分まで緻密に追ってアニメートしています。ミサイルも画面に何発あるか不明なほど多数描かれ、軌道もすべて独立しながら動くばかりか、時にカメラを追い越したような動きを見せます。ここで言うカメラはアニメの場合存在しないものですが、あたかも存在しているかのように作画することで、さらなる臨場感が増すという仕掛けです。< そんな板野サーカスで見応えあるのは第18話「パイン・サラダ」です。マックスとミリア、敵同士として接触した2人の天才パイロットが繰り広げる空中戦では、変形しながらミサイルを撃ち合うときの立体的なカメラワークが壮絶です。探知して追うミサイルの軌道を変えさせるため、バルキリーがダミーの熱源を出して回避するなどのディテール描写も満載。それはコマ送りでないと分からない仕掛けですが、人間の眼は一瞬の劇的な変化も「重み」として認識するもの。
つまり「ものすごいことが起きてる!」という驚きや興奮も、クオリティというわけです。
『劇場版マクロスF〜サヨナラノツバサ〜』のDVD、BDリリースもあって、月額1,000円見放題サービスでマクロスシリーズを再見している方も多いでしょう。ぜひこうした「ハイクオリティ」の考え方が歴史的にどう変化していったかにも想いをはせつつ、楽しんでいただけたらと思います。では、また次回(一部敬称略)。
第39回 ローカルに繰り広げられる善と悪の戦い『天体戦士サンレッド』
日本の「アニメ」で本当にすごいのは、クオリティとかそうした表面的なものではなく、
題材や表現のもつバラエティの豊かさではないでしょうか。
月額1,000円見放題サービスに『天体戦士サンレッド』が入ってきたのを見て、そのことをあらためて思い出させられました。
悪の組織が送り込む怪人と正義のヒーローの戦いなのに、舞台は神奈川県川崎市・武蔵溝ノ口駅周辺という、きわめてローカル性豊かなショートギャグ作品です。
「世界征服」を語っているのに、最初のテレビ放送がTVK(テレビ神奈川)限定というそのギャップが笑えます(ネット配信で同時公開)。
配役に髭男爵の山田ルイ53世とひぐち君など、お笑い系を多数配置して小気味よいテンポの会話劇で短編を積みかさねる形式で、AKB48から河西智美と板野友美が「天井」という謎キャラの役で出ているなど細かいネタも満載。
バラエティ番組に近い感覚でサクサクと楽しく見ることができて、時間のある限りいつまでも笑いながら視聴し続けられるという、まさに定額向きの作品なんですね。
特に組織フロシャイム側のヴァンプ将軍は、非常に卓越したキャラだと思います。
仕事としてサンレッドをつけ狙う「悪の幹部」をやっているわけですが、女性的な物腰と優しい言葉づかいで面倒見もよく、気配りにあふれている「いいひと」なんです。サンレッドの方は同棲している女性かよ子に生活費をみてもらっていて、昼間からパチンコしてブラブラしていて、家では「ヒモ」が禁句になっている。いったいどっちが「悪」なんだか分からないという、逆転の構図が面白いです。
しかも単にひっくり返して笑いをとるだけのものではないんですね。正義と悪の落差に爆笑しつつずっと見続けていると、「サンレッドの世界観」とでも言うべき非常に奥の深いものがチラリとかいま見えてきます。そこでもう一段この作品が好きになれる。そこからが本番という感じです。
(C)くぼたまこと/スクウェアエニックス・フライングドッグ
「異形の怪人やヒーローをみんなが普通に受け入れている」という大ウソ以外は、ルールもきちんと確立されて辻褄の合っている世界が映像の中にあるんです。そしてサンレッドも幹部も怪人も、みんなきわめて人間くさく複雑性のある内面を抱えている。
特に次々に登場するフロシャイム怪人は「いるいる、こういう人」と共感できる言動ばかりで、作り手側の人間観察力に敬服するばかりです。
そこに「もうひとつの世界」が存在して感情移入に値するべき「人の集団」がいる。この点で、ハイファンタジーにも匹敵する「世界観」があると言えるわけです。一見してそう見えないところもすごい。
それもそのはず、この作品をつくっているアニメスタッフは実にゴージャスです。
監督の岸誠二(第2期は総監督)は『瀬戸の花嫁』や『Angel Beats!』などのヒットメーカー。「ヒーローキャプテン」という見慣れないクレジットのまさひろ山根は、前回紹介した大張正己と担当した勇者シリーズのシャープなメカ作画で知られ、スーパーロボットやヒーローを描くのが生き甲斐のアニメーター。『神魂合体ゴーダンナー!!』でもメカニックキャプテンを名乗ってましたし、『バンブーブレード』でも劇中ヒーローのブレイバーデザインを手がけています。
AIC ASTAに集まったクリエイターたちは、こうした実力派ばかり。彼らが全身の力をこめて、あえてぬるくも見えるかもしれないギャグを真剣にかましているというところが、まさしく「フロシャイム怪人たち」に重なって見えるんです。事実、回が先に進むと、フロシャイムの実力はすごいということも語られていきます。軽くあしらっては憎まれ口をたたいてばかりのサンレッドが、本当は彼らのことをどう考えているか、本心も見えたりもする。この多重構造の中で「身近にあるユートピア的共同体」みたいな概念が浮かび、笑いが幸福感に転化するのを感じました。
一風変わったギャグアニメとしてももちろん笑えるし、ずっとつきあっていくと深い感動もするという奥の深い作品。この機会にぜひ楽しんでいただけたらと思います。では、また次回(一部敬称略/定額以外のタイトルを一部含んでいます)。
(C)くぼたまこと/スクウェアエニックス・フライングドッグ