第47回 渡辺宙明サウンドに熱血の魂が震える『神魂合体ゴーダンナー!!』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年03月12日 10:48
東京国際アニメフェア2012の第8回功労賞顕彰者が、先日発表になりました。
(リンク:
http://www.tokyoanime.jp/ja/award/winner/
 筆者も今年度は審査委員として参加してまして、3月24日の贈賞式を楽しみにしています。
どのクリエイターも功績が大きく、かねてから敬愛する方々ばかりです。特にそのキャリアの長さということでは、作曲家の渡辺宙明先生の受賞を嬉しく思っています。
 本名は「宙明」を「みちあき」と読むのですが、先生自身が「“ちゅうめい”はペンネームです」と自己紹介されているように、その音楽は「宙明サウンド」と呼ばれて長年多くのクリエイターに愛されてきました。TVアニメの仕事は1972年の『マジンガーZ』からスタート。人が乗りこむタイプのスーパーロボットアニメというジャンル自体の立ちあげを、熱い主題歌・挿入歌とBGMで盛り上げました。同時期に特撮では『人造人間キカイダー』を手がけています。さらに1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』でスーパー戦隊シリーズの原点を担当。1982年には『宇宙刑事ギャバン』を手がけてメタルヒーローの原点に足跡をのこすなど、多くの原点にいるすごい方なのです。
とはいえ、これらが合流して今年のお正月映画『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』でも熱い新曲を提供し続けている。
 近年の戦隊シリーズやプリキュアシリーズでも挿入歌をずっと作曲され続け、今なお新たな子どもたちを感動させる曲を書き続けているという、この継続感が、真にすごいことなのではないでしょうか。そんな風に、アニメ特撮業界全体で屈指の連続キャリアの持ち主であり、生涯現役クリエイターの頂点とも言える方なのです。
 バンダイチャンネルの月額1,000円作品の中で宙明サウンドの魅力が端的に分かる作品としては、2003年のロボットアニメ『
神魂合体ゴーダンナー!!』および翌年の『神魂合体ゴーダンナー!! SECOND SEASON』がオススメです。

(C)2003 Project GODANNAR (C)2004 Project GODANNAR
主題歌や挿入歌は水木一郎、堀江美都子、串田アキラという輝かしいアニソン巨匠の熱唱。BGMも歴代のヒーロー特撮やロボットアニメから、スタッフのリクエストも交えての勇壮かつ華麗な名曲がそろってます。敵の襲撃から発進、迎撃、変形合体まで、聴いてるだけで熱く体温が上昇する、そのエネルギーたるや、筆舌につくしがたい感動ものです。
 「神魂合体=しんこん・がったい」ということで、高校生の新妻を迎えたパイロットがロボット同士で合体、という一見パロディ的にも見える要素が満載の作品ではありますが、物語の姿勢は実に真摯なもの。時に迎える夫婦の危機など、共感できる感情の描写と、過酷とも言えるシリアスな展開には、思わずうならされます。しかし、最終的にはリズミカルでパワフルな音楽に乗せた必殺技のカタルシスも待っている。
 そんな風に、圧力の高まったドラマが、ロボットアニメのもつ勢いとパワーみなぎる宙明サウンドを触媒にして、爆発的な気持ちよさをもつ高みへといざなう。そんな作品ではないでしょうか。映像と音楽が互いに響き合って一体となったとき、つきぬけるような快感が訪れる瞬間を、ぜひ多くの方に体験していただきつつ、宙明サウンドの魅力を再確認してほしいなと思います。
では、また次回(一部敬称略)。

(C)2003 Project GODANNAR (C)2004 Project GODANNAR

第46回 メディア芸術祭の大賞を受賞した『魔法少女まどか☆マギカ』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年02月24日 23:57
『魔法少女まどか☆マギカ』が月額1000円作品の仲間入りと聞いて、非常に感慨深いものがありました。
このタイミングは、実に運命的だと思えます。それは、ちょうど平成23年度[第15回]文化庁メディア芸術祭の受賞作品展が東京・六本木の国立新美術館において開催中だからです(2月23日〜3月4日)。今回のアニメーション部門で『まどか☆マギカ』がTVシリーズのオリジナル作品としては初の大賞を受賞しています。

この賞は人気投票ではありませんので、筆者も審査委員のひとりとして「メディア芸術」の観点で「この作品はどういう位置づけにあるのか」ということを、真剣に考えました。もちろん劇団イヌカレーによる魔女や異空間のコラージュ表現など、絵的なルックや視覚表現が直接的にアート的な部分も多い作品ですが、それだけではないと思います。トータルで最先端の「アート」だと思える部分が多々あり、それが大賞にふさわしいという審査委員の総意に集約したと思っています。
そもそもの話をすれば、「魔法少女」というジャンルムービー(アニメ)は、よくも悪くも非常に節操がないものでした。大本は1960年代に『奥さまは魔女』や『かわいい魔女ジニー』などアメリカのTVドラマのシチュエーションコメディを、子ども向けアニメとして翻案したところから、その歴史はスタートしています。やがてそれがTVアニメ文化の発展とともに「変身」という要素を取り入れてアイテムの商品化に結びつけたり、あるいは怪人との戦闘やチームプレイという特撮的なアクション要素を吸収して、大きな支持とともに発展していきました。
そこには連綿と受け継がれてきた大きな「文脈(コンテクスト)」が、確実にあるのです。アートというものを考えるときには、このコンテクストをどう受け継ぐか、それを踏まえてさらにどう未来へ向けて更新するかが大きな焦点となります。
まどか☆マギカ』は魔法少女ものの幾多もの「お約束」をざっくりまとめた上で、物語上のギミックとして実にうまく逆用しています。マスコット的なかわいいキャラが「魔法少女になる契約」をもちかけること−−ある種のデフォルトとして観客がスルーしてしまうことを前提に、大きなトラップを仕掛けていることなどが、その典型でしょう。
 
そしてポイントは、それを単なるギミックに終わらせていないことです。中世の「魔女狩り」の例でも分かるとおり、使い魔との契約は、もともと人間性の根幹を揺るがす恐ろしいものなのです。そして魔女的なもの以前の問題として、「大きな力の獲得」は無償であるはずがない。それも幾多の神話で描かれてきたものです。こうした魔法少女以前までさかのぼる系譜をきちんと押さえているところが大きなポイントです。
 
大いなる流れ、コンテクストをふまえた『まどか☆マギカ』のストーリーは、クライマックスでは単なるビックリ箱の仕掛けを超えて、一度どん底まで落ちた後から「奇跡」という、現代では安売りされがちな言葉の本質を照射しつつ、感動の高みへと観客を導いていきます。それは現代の閉塞へのクリティカル(批評的)な姿勢を示しつつ、人の生きざまを根底から変えるぐらいのパワーの大きさを示しています。華麗なビジュアルとともに、誰もがそれを獲得しうるだろうと、普遍的な落着点に結びつけています。こうした感動が多くの人の魂に根をおろせば、きっと現実をも変えうるパワーにつながっていくことでしょう。
「アート」というのは語源的には単なる「人工物」という意味から始まっています。その「人の手によって変えうるもの」とは何なのか、アートが示す意味とは何か。『まどか☆マギカ』は、そういうことを考えさせてくれるメディア芸術の最先端なのです。
これから初めてご覧になる方も、この機会に再視聴される方も、自分たちが大きい流れの中にいて、人の手で何かを変えうるという観点で、本作を楽しんでいただけたらなと願っています。では、また次回(一部敬称略)。

(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

第45回 劇場版『機動戦士ガンダム』完結から30周年

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年01月19日 12:25
機動戦士ガンダム』はTVシリーズの1979年が初出です。なのですでに30周年記念イベントは済んでしまったのですが、
実際にガンダムブームが爆発的になっていたのは劇場版『機動戦士ガンダム』3部作のときなので、少しタイムラグがあります。
劇場版第1作が公開されたのは1981年3月14日、
そして第3作目の「めぐりあい宇宙(そら)編」が公開されたのはちょうど1年後の1982年3月13日でした。
ということで、いまは実は「ファーストガンダム完結」からちょうど30周年のタイミングにあたっています。

 さてその劇場版『機動戦士ガンダム』ですが、実はこの3部作自体の中には大きな進化を見ることができます。
基本的に物語とドラマの核は、TVシリーズとそんなに違いはありません。スタッフ側には「TVでヒットした要素をそのまま映画館で見せよう」という暗黙の了解があったと言います。
ただし、TVシリーズのガンダムは非常に厳しい環境で制作されたため、クオリティ的には少々厳しい部分もあります。特に絵柄については、アニメーションディレクターの安彦良和がかなり手をいれているものの、必ずしも統一がとれているわけではありません。
 さらに1本の映画としてまとめあげていく都合もあって、「新作カット」が劇場用に多数制作されているのです。当時は、この新作部分をを見ること自体も劇場版の大きな喜びでした。安彦良和自身は「お色直し」というような表現をとっています。「少しは見栄えをよくしよう」という程度で、「劇場向けに力をいれました」ということではないということです。
 しかしながら、この新作には独特の手法が使われてクオリティを高めているのも事実です。作画監督は他のアニメーターがあげてきた原画をチェックし、絵柄や動きがちがっていれば修正をかけます。後工程でクオリティをあげるわけですね。
 一方、この劇場用新作は逆の発想です。レイアウトとラフな原画(第一原画)を手の早い安彦良和自身が、先に描きあげてしまうのです。これに対して若手アニメーターが第二原画として、動画に回すための清書を行ってタイムシートを整理します。前工程にクオリティ確保のリソースを集中するわけです。
 これは『アルプスの少女ハイジ』などで宮崎駿がとっていたレイアウトシステムが元でもあり、後のアニメ制作にも大きな影響をあたえていますが、それはさておき。実はその「新作カット」の使われ方自体が、劇場ガンダムで少し違っていて、それが隠れたみどころになっているのです。
 1作目では本当にキャラクターの整っていない部分や、たとえば第6話と第9話をつなげたためにガンダムの手持ち武器が違うところの修正などに使われるのが大半でした。演出意図としては違わないわけです。ところが2作目では、もっと大胆にエピソードを圧縮していく都合もあって、シチュエーションごとの完全新作が目立ちます。

「機動戦士ガンダム」第6話 ガルマ出撃す/第9話 翔べ! ガンダム より
これが短いカットながらも、実に映画っぽい膨らみをもつ良い画が多いんですね。冒頭から砂嵐が吹き荒れるマ・クベ鉱山とか、ビッグ・トレーがオデッサ作戦に向けて移動中に野犬が追うとか、補給するホワイトベースの脇の草むらに名も無い兵士の死体があるとか、ほんのちょっとした描写が加わることでものすごく雰囲気が出ているのです。
 さらに第3作目になると、新作の入れ方がもっとこなれてくるようになります。ちょうどTVシリーズでは安彦良和が倒れたパートでもあったため、新作の分量が3部作中もっとも多いこともあって、シークエンス単位で新作という箇所も増えています。さらにはTV版では動画マンだった板野一郎がメカやエフェクトを大量に受けもっているため、ちょうどイデオンとマクロスの中間ポイントにあたる「板野サーカス」も楽しめる、映画としてゴージャスなものになっていきます。
 なので3本を続けてみると、1981年から1982年にかけてアニメがめきめきと表現力を上げていった時代の記録のようにもなっているんですね。ちょうどたまたま月額会員専用で24時間限定企画で、1/20から連続3日間、劇場版が配信されるとのこと。
そんな時代の進化を一挙に楽しむチャンスではないでしょうか。では、また次回(一部敬称略)。

(C)創通・サンライズ