第50回 石黒昇、板野一郎、庵野秀明、三世代そろった『超時空要塞マクロス』の現場

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年05月08日 12:55
第48回でも解説したことを、もう少し掘り下げてみます。庵野秀明監督と話したとき、「『超時空要塞マクロス』は三世代がそろった現場だった」という指摘がありました。石黒昇さん、板野一郎さん、庵野秀明さんという、3人のエポックメイキングなエフェクトアニメーター(後に監督、制作会社代表)が集結したという意味です。
 「日本のエフェクトアニメ史」の中でもこれは重要な指摘です。エフェクトがSFアニメの中で集客の核になるポジションに高めたアニメーターは、他に金田伊功さんという源流があります。金田さんの表現様式はトリッキーなタイミングやフォルムなどアニメーション特有の自由さ、破天荒さを求めたものですが、もう一方でリアリズムに基づく流れがあり、『超時空要塞マクロス』がその大きな結節点に位置づけられるわけです。
 エフェクトにおける「リアリズム」とは、物理・化学といった自然界を律する法則を現実ベースでとらえ、アニメーションで可能な表現におきかえるという意味です。たとえば爆発にしても、実写をスロー再生やコマ送りすれば、そこには厳然と科学法則で説明できる「変化」を観察することができます。
 最初にいきなり露出オーバーになるほど大きなエネルギーの解放があり、次に周囲の空気を巻き込んで燃焼になる。そしてその温度が少し下がって煙となりますが、ここで破壊された物体(「燃えがら」の略で「ガラ」とも呼ばれる)が飛ばされると、その軌跡に沿ってできた気流で角のようにとがった爆煙ができます。一瞬のうちにこうした激しい現象が発生するわけですが、人間の目と脳はその変化を害を及ぼすものか判断しつつ、驚きと好奇心を交えて見つめるようにできています。

(C)1982 ビックウエスト
 エフェクトアニメの面白さは、本来は無機質な現象にすぎないものを「演出」と有機的に連動させて、感情や生理を高みへ持ちあげられるところにあります。爆発ひとつとっても映画のストーリーの中で起きることですから、どんな場所か、規模はどれくらいか、登場人物の運命にどう関係するのか、さまざまな要素と結びついて意味をもちます。ましてや爆発は本来的に二度と同じ現象が起き得ないものですから、もしパターン化されない一期一会の爆発であれば、よけいに目をひきます。そこまで行けばキャラや観客の心理を代弁するエフェクトもあり得るわけで、「効果=エフェクト」の真骨頂とは、そうした演出的影響を及ぼしうるものと言うことができるでしょう。
 もうひとつ重要なことは、クリエイターによってエフェクト表現が大きく異なるということです。リアリズムベースとは言え、観察事象を脳にインプットし、線画とコマ撮りベースのアニメーション表現にアウトプットする過程で、「解釈」が必ず発生します。そこに正解はありません。人が何をもってリアルと感じるかという手がかりは、人によって異なる。その微妙な違いを表現しきれば、観客の現実把握を揺さぶ優れたエフェクトになり、作品自体にも高い次元での「面白さ」をもたらすのです。
 三世代のエフェクトアニメーターが結集した『超時空マクロス』は、こうした考察の手がかりの宝庫と言えるでしょう。特に第27話「愛は流れる」では、まさに三世代のそろいぶみが見られます。

(第27話「愛は流れる」より (C)1982 ビックウエスト)
爆煙をひくミサイルと球や三日月になる爆発など、いわゆる「板野サーカス」と呼ばれるエフェクト。爆煙の後に気流が揺り戻すところまで描く、記録フィルムを元にした庵野作画。そして海面を割って進む高熱ビームや倒壊するビル群などが、『宇宙戦艦ヤマト』にも通じる石黒昇監督自身のエフェクト作画です(第1話の兼用ですが)。
 「愛は流れる」には総力戦の迫力が感じられますが、それは決して物語の内容だけで成立したものではないということになります。三世代がそれぞれのとらえ方で渾然一体となって描きぬいたエフェクト。統一されていないがゆえに、そこに多彩な驚きが宿り、いろんな人が集まったお祭りのような喜び、解放感にまで昇華しているように感じます。
 こんなアニメーションの奥深さにも、石黒昇監督のベテランの度量がはたした役割が大きかったと思います。
板野さん、庵野さんのみならず、この回の演出を担当した河森正治さん含め、当時20代の若手が何をやっても否定せず、興味をもって大きな気持ちで受け入れ、作品をまとめていった石黒昇監督−−その残された作品が今も伝える「意味」を、今後も考え続けていきたいです(一部敬称略)。

第49回 石黒昇監督と『鉄腕アトム』の深い関係

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年04月23日 11:31
この3月に急逝されたアニメ監督・石黒昇さんの話をもう少し続けさせてください。
日本のアニメ史が1963年1月から始まった30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』で大きく発展したのは周知の事実です。来年で50周年を迎えるこのアニメ版『アトム』と石黒さんにも深い関わりあいがあります。
 最初の『アトム』は4年間にわたって放送されたほどの人気番組でしたが、モノクロ作品のめ再放送がされなくなり、70年代に入ってから顧みられなくなっていきます。何度かカラーのリメイク企画もあったようですが、実際にリメイクが実現するのは1980年10月と80年代初頭となります。その監督が、石黒昇さんでした。

(C)手塚プロダクション
 その直前、石黒さんは1980年3月公開の映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(監督:手塚治虫、杉山卓)に参加。ここではアニメーションディレクター(中村和子と共同)として、特撮的なエフェクトを中心に画期的な技法を次々に投入しています。実写の爆発を合成するという素人目にも分かりやすいテクニックもありますが、あらためて注目したいのはまるで後のCGのように見える映像の数々でしょう。
 たとえば宇宙船が回転するカットでは手描きにしては崩れのない正確さが際立ちます。これは「ロト・スコープ」と呼ばれるもの。
本来は人間の演技をアニメーションに持ちこむため、実写で撮影したものをトレスする技法ですが、それをミニチュアに応用するところが石黒さんらしい発想でした。他にもスリットスキャンという機械的にストロークを反復した光を積みかさねる技法や、スキャニメイトという電子回路で映像を幾何学的に加工する「アナログCG」にも位置づけられる映像なども多用され、セルアニメとは違うひと味が映像に加わっています。
 1980年版『鉄腕アトム』のオープニングにも、その一部が応用されています。メインタイトルではスキャニメイトを使ってロゴを回転させていますが、通常だとビデオ合成で画質が荒れるところが、透過光に置き換えられていて驚きます。どうやって撮ったのかついに聞き漏らしましたが、有名作品のネームバリューに甘んじることなく、未来につなげようという石黒さんらしい挑戦的な意欲が端的に出ていて、あらためて感心しました。

(C)手塚プロダクション
 石黒さんは日本大学芸術学部映画学科を卒業、1964年提出のその卒論は「テレビアニメーションの将来」という先駆的なものでした。『アトム』が作られて間もなくのことであり、そんな研究に意味があるかどうかさえ定かでない時代です。『アトム』のオンエアをメモ書きでチェック、原作と比較しながらシナリオ、演出、作画を評価し、さらには虫プロダクションの制作現場に足を運び、担当演出家に取材をしながら書き上げたと言います。漫画単行本ですら一般化していない時期ですから、乏しい資料とオンエア一発勝負の検分だけで克明な研究をしようという開拓者的情熱には、敬服するしかありません。そのときの分析は、80年版の監督をするにあたっても非常に役だったことでしょう。
 大学卒業後、アニメーターとしてもモノクロ版『鉄腕アトム』に参加した石黒昇さんですが、早くから原画マンとなり、ビル街を空撮したイメージの背景動画(バックをすべてアニメーションとして動かす技法)が認められたことが、非常に印象的だったそうです。こうした作画は枚数節約のためにリピートするのが一般的でしたが、ずっと描き送りで視点を移動させていく石黒作画には、やはり実験精神が活きています。
 80年版のリメイク『アトム』のオープニングにも、類似の背景動画による空撮カットがあったので、このことを思い出しました。それはアニメ第1作を受け継ぎ、未来に向けてアトムを飛翔させてみたいという思い入れをこめた映像だったのでしょうか。アニメが文化である以上、「つくって消費されておしまい」であってはならないのです。石黒昇さんの仕事を振りかえったとき、至るところにこうした継承性が感じられます。そして、自分も何かを受け継ぎ、語り継がねばと身の引きしまる想いがするのです(一部敬称略)。

第48回 『超時空要塞マクロス』の石黒昇監督、ご逝去を悼む

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年03月28日 16:56

アニメ監督・演出家で制作会社アートランド会長の石黒昇さんが2012年3月20日、病院で亡くなりました。享年73歳です。
代表作は『宇宙戦艦ヤマト』、『
鉄腕アトム(1980年版)』、『超時空要塞マクロス』、『メガゾーン23』、『銀河英雄伝説』、『タイタニア』と、いずれも心に残る名作ぞろいです。
 氷川にとっても石黒さんは、アニメの世界をより深く好きになるきっかけとなった恩人でした。まだ高校生のころの1974年末、練馬区の桜台にあった『ヤマト』の制作現場に出向き、演出ルームで初めてお会いしたときの人なつこい笑顔はいまでも心に強く焼きついています。
 特に自分的に衝撃だったのが、「エフェクトアニメーション」という分野の紹介でした。もともと石黒さんが「アニメーションをやりたい」と思ったのは、ディズニー長編『眠れる森の美女』だったと言います。そのディズニーには伝統的に「エフェクトアニメーション」というクレジットがあり、キャラクター以外の波、炎、雷鳴などの自然現象の専門部署が作画しているわけです。エフェクトの多くは不定形であり、キャラのように設定書にもどづいて描くものではなく、自由なかたちが許されます。同時に物理化学などの法則に基づく挙動があるので、精密な観察眼と分析力、そしてアニメーションとしての表現力が三位一体とならなければ成立しません。
 そしてエフェクトの中でも、大波や火山噴火などスペクタクルとして「華」になるものとして丁寧に描けば、映画自体もリッチになる。これは実写の世界の「特撮」と同じ位置づけにあります。デジタル映像時代では「VFX(視覚効果)」とも呼ばれていますが、この「FX」は「エフエックス=エフェクツ」という音読みから来ていることを考えても、ほぼ同じポジションと思ってもらってよいわけです。
 こうしたことは後にいろいろと研究を深めての理解ですが、その入り口にあたるるのアウトラインを石黒さんは教えてくれました。それと同時に、自分がなぜ『ヤマト』を特別な作品と思ったのか、その理由も分かったのです。実写の映画やテレビでは「特撮」の仕掛け、トリックのある映像が大好きだったわけですが、それと同じものがアニメの世界にもあるんだということです。

(C)手塚プロダクション (C)1982 ビックウエスト
 『ヤマト』では発進シーンで大地が割れ、岩塊が飛ぶ中、巨大ミサイルを迎撃すると画面全体が轟然たる爆煙で埋めつくされるといった超スペクタクルシーンが観客を興奮に引きずりこみます。それはエフェクトの考え方がつくりあげたものだったのです。
 そして石黒さんは無類のSF好きでもありました。それゆえに意気投合したところがあります。SFアニメとは、宇宙とか未来とか超能力とか、単に設定が非現実なものというだけでは不足です。物語世界の構築がSFの作法にのっとって理詰めのルールである必要があります。エフェクト作画にしても科学的に正確であるだけでは不足で、発想自体にどこか飛躍したところがないと快感に結びつきません。
 『ヤマト』にはさまざまなSF関係者も多数参加していますが、最終的な画づくり、ビジュアル面で「SF的な語り口」を獲得していく上では、映像を演出している石黒さんのSFマインドあふれる発想力があったからこそ、あれだけの大きな作品になり得たのだと確信しています。やはり自分のすべてが、あの時代に石黒さんと語らったことに直結していて、あれがルーツだったのだと思います。
 そしてこの「エフェクトアニメ」の連なりは、人から人へと受け継がれていく。その人を見出し、育てて流れをつくりあげたことも、石黒さんの大きな功績です。『超時空要塞マクロス』の板野一郎氏による「板野サーカス」もそのひとりですし、同作で原画デビューした庵野秀明氏も同じマインドを受け継ぎ、やはり「エフェクトアニメ」が華となる作品をつくりだしていきます。『
新世紀エヴァンゲリオン』へとつながる系脈も、石黒さんがルーツなのです。
 そうした源流となる時代、当時10代後半から20代前半だった若者のひとりとして、石黒さんの大きなマインドに触れたことは、人生最大級の糧となっています。その感謝をこめて、旅立ちを見送りたいと思います。ありがとうございました(一部敬称略)。

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