「日本のエフェクトアニメ史」の中でもこれは重要な指摘です。エフェクトがSFアニメの中で集客の核になるポジションに高めたアニメーターは、他に金田伊功さんという源流があります。金田さんの表現様式はトリッキーなタイミングやフォルムなどアニメーション特有の自由さ、破天荒さを求めたものですが、もう一方でリアリズムに基づく流れがあり、『超時空要塞マクロス』がその大きな結節点に位置づけられるわけです。
エフェクトにおける「リアリズム」とは、物理・化学といった自然界を律する法則を現実ベースでとらえ、アニメーションで可能な表現におきかえるという意味です。たとえば爆発にしても、実写をスロー再生やコマ送りすれば、そこには厳然と科学法則で説明できる「変化」を観察することができます。
最初にいきなり露出オーバーになるほど大きなエネルギーの解放があり、次に周囲の空気を巻き込んで燃焼になる。そしてその温度が少し下がって煙となりますが、ここで破壊された物体(「燃えがら」の略で「ガラ」とも呼ばれる)が飛ばされると、その軌跡に沿ってできた気流で角のようにとがった爆煙ができます。一瞬のうちにこうした激しい現象が発生するわけですが、人間の目と脳はその変化を害を及ぼすものか判断しつつ、驚きと好奇心を交えて見つめるようにできています。
(C)1982 ビックウエスト
エフェクトアニメの面白さは、本来は無機質な現象にすぎないものを「演出」と有機的に連動させて、感情や生理を高みへ持ちあげられるところにあります。爆発ひとつとっても映画のストーリーの中で起きることですから、どんな場所か、規模はどれくらいか、登場人物の運命にどう関係するのか、さまざまな要素と結びついて意味をもちます。ましてや爆発は本来的に二度と同じ現象が起き得ないものですから、もしパターン化されない一期一会の爆発であれば、よけいに目をひきます。そこまで行けばキャラや観客の心理を代弁するエフェクトもあり得るわけで、「効果=エフェクト」の真骨頂とは、そうした演出的影響を及ぼしうるものと言うことができるでしょう。
もうひとつ重要なことは、クリエイターによってエフェクト表現が大きく異なるということです。リアリズムベースとは言え、観察事象を脳にインプットし、線画とコマ撮りベースのアニメーション表現にアウトプットする過程で、「解釈」が必ず発生します。そこに正解はありません。人が何をもってリアルと感じるかという手がかりは、人によって異なる。その微妙な違いを表現しきれば、観客の現実把握を揺さぶ優れたエフェクトになり、作品自体にも高い次元での「面白さ」をもたらすのです。
三世代のエフェクトアニメーターが結集した『超時空マクロス』は、こうした考察の手がかりの宝庫と言えるでしょう。特に第27話「愛は流れる」では、まさに三世代のそろいぶみが見られます。
爆煙をひくミサイルと球や三日月になる爆発など、いわゆる「板野サーカス」と呼ばれるエフェクト。爆煙の後に気流が揺り戻すところまで描く、記録フィルムを元にした庵野作画。そして海面を割って進む高熱ビームや倒壊するビル群などが、『宇宙戦艦ヤマト』にも通じる石黒昇監督自身のエフェクト作画です(第1話の兼用ですが)。
「愛は流れる」には総力戦の迫力が感じられますが、それは決して物語の内容だけで成立したものではないということになります。三世代がそれぞれのとらえ方で渾然一体となって描きぬいたエフェクト。統一されていないがゆえに、そこに多彩な驚きが宿り、いろんな人が集まったお祭りのような喜び、解放感にまで昇華しているように感じます。
こんなアニメーションの奥深さにも、石黒昇監督のベテランの度量がはたした役割が大きかったと思います。
板野さん、庵野さんのみならず、この回の演出を担当した河森正治さん含め、当時20代の若手が何をやっても否定せず、興味をもって大きな気持ちで受け入れ、作品をまとめていった石黒昇監督−−その残された作品が今も伝える「意味」を、今後も考え続けていきたいです(一部敬称略)。