『マクロスF』の劇場へのバージョンアップには興味深い手法が使われています。

(C)2009 ビックウエスト/劇場版マクロスF製作委員会
TVシリーズからHD(ハイデフ)フォーマットで制作さた作品なので、再編集して新作を加えれば映画になる……というほど
単純なものではありません。
30分弱で区切りがあって次回まで1週間空くTV放送と、2時間前後の長時間スクリーンの前に座って闇の中で光と音に身を浸しつつ一気に楽しむ映画とでは、体験が根本から異なります。物語構造・構成から考え直さなければ成立しません。単なる「総集編=ダイジェスト」では済まないわけです。かと言って根本から変えてしまってはTV版のヒットを受けた企画としてもバランスが崩れかねません。
実を言えば、この話は河森正治監督がメカデザイナーから演出家へとなっていったプロセスにも関係しるのです。
TV版『超時空要塞マクロス』の第17話に「ファンタズム」というエピソードがあります。
これはストックがなくなり、緊急に既成のフィルムで1本作らなければならなくなり、河森正治が黒河影次名義で短時間でまとめることになったものです。
直前に第14話「グローバル・レポート」という総集編があるため、もうダイジェストにはできません。
そこで河森氏は「主人公が撃墜されて見た悪夢」というアイデアでまとめることを思いつきました。
(C)1982 ビックウエスト
フィルムの時代なので、セルと背景を組み合わせてカメラワークと処理をつけて撮影してしまえば、変更は容易ではないです。
セルは塩化ビニールの透明シート、背景は画用紙で画材としては絵の具と、物理的な制約に囚われていた素材を撮り直すことになりますが、その余裕さえありませんでした。
口パクと言われるセリフの動きでさえフィルムの上で固定されて動かせない状況下で河森正治はどうしたか。フィルムから逆算して文字数を割り出し、セリフを考えるという手に出たのです。他にも制約があるのを逆手にとり、同じシチュエーションが反復されるなどまさしく悪夢のような飛躍のある演出を、ごく少量の新作カットだけで済ませて難を逃れたのです。これが認められ、本格的に演出家になるための第一歩だったとも聞きました。「フィルムを編集することで価値観を生み出す」というのは映画の本質だから、ということでもあります。
さて、現在のアニメはデジタルで制作されています。撮影は「コンポジット(合成)」というPC上のソフト工程となり、素材もデジタルで保管されるようになりました。そのメリットとして、TVから劇場映画にするときに背景だけを差し替えるなどの流用や変更が容易になりました。複数の登場人物が重なっている場合は芝居を変えたい人物だけ描き変えたり、極端な場合は削除してしまうなど、自由度もかなり上がっています。
『マクロスF』ではこの方法論を駆使し、TVシリーズの映像をアレンジして劇場版に仕立てあげています。分かりやすいのは、第1話に相当するシーンでしょう。アルトが初めてVF-25メサイアに乗って戦ったとき、TV版ではランカだけがいました。劇場版ではシェリルもその現場にいて、三角関係がビジュアル的に強調されています。他にもクラン・クランを学校に描き足したり、さまざまな工夫で似て非なるカットを実現しています。
映像もバージョンアップ。マクロスクォーターの活躍も、構図などは同じですがデザインが一新されていますし、細かいところではバルキリーのコクピットなども、TV版のときには平板に描かれてだったカットに天神英貴による特殊効果で質感が描き足され、劇場の大スクリーンに耐えられるような工夫が随所にほどこされています。
一見同じように思える映像でも、構成や設定を変更し、画像の素材を足したり引いたりした上に、絶妙な箇所に新作を加えることで、印象が一新されているわけです。
劇場版『マクロスF』の独特の雰囲気と熱い映像の流れは、こうした苦心の積み重ねからかもし出されているんですね。比べて見るのも一興でしょう。ではまた次回(敬称略)。
第22回 『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』デジタルで生まれかわった映像
第21回 『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』現実と相互干渉するアニメ世界
10年以上のロングランアニメ数ある中でも、マクロスシリーズは現実世界とアニメ世界の橋渡しや相互作用という点で、他に類をみない独特のポジションを築きあげたように思えます。
ことに『マクロスF』では劇中で活躍する歌姫シェリル&ランカがスクリーンから飛び出したかのように、May'nと中島愛の歌が大ヒットし、全国ツアーや武道館コンサートに結びついたということは、非常に象徴的なことに感じられます。

(C)2007 ビックウエスト/マクロスF製作委員会・MBS
いくら劇中で「大スター」「人気アイドル」と言ってみたところで、フィクションとしてそう描けばいいだけのことなのです。
でも、それを現実にしてビジネスの成果にまで結びつけるのは、実に大変なわけです。そこに菅野よう子という作曲・プロデュースの天才がいたのは大きななファクターですが、それだけでもない気がしています。
『マクロスF』の場合、TVシリーズから劇場になるプロセスで「実体化現象」みたいなことが起きて、拡大していきました。それを面白がった河森正治総監督たちスタッフは、劇場用新作カットをつくるうえで非常に興味深い工夫をしています。
たとえばフロンティアに来訪したシェリルのコンサート会場は「星道館」という新規の場所に置き換えられてますが、これは「武道館」をモデルにしたものです。
筆者は仕事の一環で武道館ライブにも行きましたが、そのときの雰囲気が実によく再現されていました。
具体的にはホールの空間の広さ、ライトアップが横切る空気感、埋めつくした観客の並びなどです。単純に作画や撮影をグレードアップしただけではなく、現実に存在したコンサート人の空気がフィードバックされているのです。
同じ仕掛けは映画のクライマックス、水上コンサートにも言えます。これは湾岸に位置する横浜パシフィコでライブが行われたときにロケハンをしたものでしょう。会場前で入場待ちをする人の群れ、次第に暮れなずんでいく岸辺のビル群のライティングなど、筆者が横浜にうかがったときの記憶が刺激されました。
さすがにホログラムの帆を張ったコンビナート船などは映画のためのフィクションですが、現実の空気がアニメ画面の中にも吹き込んできているだけに、その架空の舞台も自然とリアリティを感じ始めます。ここでシェリル&ランカの歌う「ライオン」にしても現実世界ですでに大ヒットした曲ですから、一種の必殺ワザ的に衝撃が効いてきます。
こうした虚構と現実の入り交じった中から、何か独特の感興がかもし出され、心を揺さぶり始めます。現実からの逃避でもなく、あるいは現実の引き写しでもない世界。アニメと現実が響きあって、互いに行き来する魂の波動のようなものがあって、そこだけで生まれる貴重な感情。こんなときには、「ああ、アニメっていいなあ」と改めて心に染みるものを覚えます。
ますます完結編が楽しみになってきますね。ではまた次回(敬称略)。
第20回 『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』最先端を行く開拓精神
20年以上も続いているSFアニメシリーズはいくつかありますが、いずれも単なる続編にはするまいと、それぞれ趣向をこらしているのが文化的にも面白いところです。その中でもマクロスシリーズは一風変わったスタンスをとっています。
1982年に放送された『超時空要塞マクロス』を起点として、設定的にも時間的にも連続してはいるのですが、微妙な「ゆらぎ」をそなえています。
それは河森正治総監督が、各作品を「実際に起きた事件をフィクションとして描き直したもの」と位置づけているからなのです。
最初のシリーズがTVと劇場版で設定や物語展開に微妙な差異があるのもそのためですし、最新作の『マクロスF(フロンティア)』も劇場アニメ化に際して同じような異同があります。
TV版『マクロスF』は25年以上に及ぶ「歌と三角関係と可変戦闘機」というマクロスシリーズの伝統を引き継ぎ、
さらにこれまで積み重ねてきた諸要素を肯定的にとらえた上で、具材として大盛りに積み上げて提示した作品です。
さらに「シェリル・ノーム&ランカ・リー」のダブル歌姫、宇宙怪獣との戦いなどの新規で旺盛なサービス精神は新しいファンを獲得し、現実世界では武道館コンサートを達成するなど記録的な大ヒット作となりました。

(C)2007 ビックウエスト/マクロスF製作委員会・MBS
注目すべきは「シリーズの要素」という「以前にやったもの」を使いつつ、さらに「未知なる最先端」を開拓しようというチャレンジ精神です。フロンティアとは本来は「漠然とした未開の地」というよりは「到達可能なまでギリギリやった最前線」という意味ですから、まさにタイトルどおりの「最前線アニメ」なのです。それはTVシリーズにして過剰なまでの物量による高速CG戦闘シーンひとつ見てもよく分かります。
そうなるとTVを発展させた劇場版は、さらに先を目指すことになりますから、いったいどうするのかと興味津々でした。
結果はTVシリーズの初期話数をベースに受けいれられた魅力を継承しつつ、初見の観客に「こういう作品だ」ということを伝えながらも、いたるところにパワーアップをほどこすことで、劇場版ならではの独特の魅力を宿すことに成功していると思います。
特にライヴシーンには大量の新作を加え、華麗にショーアップして見応えがあります。シェリルの1曲目から歯車をモチーフにした舞台演出を導入して「銀河の妖精」という確立したスターのステータスを強調。
一方でアイドルの階段をのぼり始めるランカ・リーは、初々しさを出すためにも手売りの「営業シーン」を改訂し、納豆やバルキリーにまで変身してみせる超サービスを連発します。もちろん早乙女アルトとの関係も、それぞれ深めつつ……。
この2人のヒロインがクライマックスでどのように絡みあい、激しい戦闘の中で歌唱を盛りあげていくのか。そこが「イツワリノウタヒメ」として最大の見せ場になっています。これは前後編の前編のはずなのですが、その構造だけはTVシリーズ全体を圧縮したようにもなっていて、1本の映画としてはそれなりに終わっても見えるのが爽快感をもたらします。
それだけに、はたして2月公開の後編「恋離飛翼 サヨナラノツバサ」はどうやってさらにパワーアップさせるのか、非常に楽しみになってきています。
一度開拓が済んでしまったように見えるものも、作り手の意欲次第で新たなフロンティアになり得るということは、閉塞感のある時代に貴重なサンプルでもありますね。ではまた次回(敬称略)。

