第53回 大河原邦男氏、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門功労賞受賞!

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2013年02月12日 12:20
 2013年2月13日から24日まで東京・六本木の国立新美術館で第16回文化庁メディア芸術祭の受賞作品展が開催されます。
筆者もアニメーション部門の審査委員を担当、今年もなかなかすごい作品が受賞しました。詳細は公式サイト(http://j-mediaarts.jp/)を見ていただくとして、
ここでぜひ強調したいのはメカニカルデザイナーの大河原邦男さんが功労賞を受賞したことです。
 大河原さんは言うまでもなく『機動戦士ガンダム』のメカデザイナーとして有名ですが、1972年に『科学忍者隊ガッチャマン』のメカ鉄獣で、アニメ用の空想メカとしては初の専業メカデザイナーとしてデビューした方です。同作では当初、美術監督の中村光毅さんがメカデザインを兼務していましたし、他の作品でもメカはあくまでも動かすキャラクターとして作画監督(キャラクターデザイナー)がデザインするなど「専業」という形ではなかったのです。929020a.jpg929015a.jpg
 もともと賞は監督などの「作家」や「作品」に与えられることが多いのですが、功労賞はそうした範疇以外で、業界に多大な貢献をされた方として規定されています。まさにメカデザイナーという前人未踏の職種を開拓し、40年間も継続的に活躍され、ガンダムとザクという誰でも知っている巨大ロボット(モビルスーツ)をデザインされた大河原さんにこそふさわしい賞と言えるでしょう。
 2月24日(日)15:00〜17:05には大河原邦男さんをお迎えしての上映会も予定されています(http://j-mediaarts.jp/events/screening?locale=ja)。
 ここではバンダイチャンネルで視聴可能な大河原メカ作品をいくつかピックアップして紹介することで、受賞を祝いたいと思います。

無敵鋼人ダイターン3(見放題)
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 大河原邦男さんがサンライズで初めてメインメカを手がけた作品。戦車、戦闘機、ロボットと3タイプに変形するダイターン3のデザインは、大河原さんが木を削りだしたモデルでプレゼンテーションしたそうです。多彩な武器とアクションも楽しい作品ですが、大河原メカとしてはパトカーが戦闘機に変形するマッハアタッカー、宇宙機として理にかなった美しいフォルムのマサアロケットも魅力的。メンテナンス用の「メカマル」のひとつがハロに発展したなど、次の作品『機動戦士ガンダム』ともゆかりの深い作品です。

無敵ロボ トライダーG7(見放題)
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 『ガンダム』最終回に続いて放送されたのは、主人公が社長で小学生という変わったロボットアニメの本作。7種のメカに変形するトライダーは、まさに大河原ロボットの王道と言えるでしょう。中小企業が巨大ロボットを運営しているという世界観もすごいですが、公園の遊具が割れて発進していく一連のシーンは燃えます。

戦闘メカ ザブングル(見放題)
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 先日、大河原邦男さんの地元・稲城市で開催された「メカデザイナーズサミット」でも明言がありましたが、玩具主導でロボットが開発されていた時代は、作品の世界観と必ずしもマッチしないことがありました。ザブングルもその典型だったそうですが、しかし2機の同型を出すなど、作中で独特のポジションを与えたのは、まさに富野由悠季監督の手腕によるもの。当時は1年間の放送だったので、3クール目からは世界観をつかんだ上での大河原メカ「ウォーカーギャリア」という「2号ロボ」が登場します。この伝統は、以後続くダンバイン、エルガイム、Zガンダムにも引き継がれていますね。

機甲界ガリアン(見放題)
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 これも同イベントで言及がありましたが、事情があって大河原さんはメインメカのみを担当。残りのプロマキス他の機甲兵にも大河原さんのラフが存在していましたが、これをベースにリファインして甲冑ファンタジー的な世界観を作りあげたのは『ザブングル』同等、出渕裕さんでした。このビジュアル的な対比がドラマ的には面白いスパイスになっています。

 ぜひとも大河原メカに着目しつつ、新しい切り口で作品を楽しんでください(一部敬称略)。

(C)創通・サンライズ (C)サンライズ

第52回 手塚治虫先生のスターシステムと『海底超特急マリンエクスプレス』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年08月06日 10:19
ちょうど前回の原稿を書いた直後、世田谷文学館で開催されていた「史上最大の手塚治虫展」に行ってきました(7月1日で終了)。
1928年に誕生、1989年に没するまで膨大に生み出した画業に加え、少年時代に書かれた昆虫のスケッチも展示。
ペンネームは本名に「虫」を追加したほどの昆虫好きというエピソードを知っていると、ぐっと来るものがあります。
そして展示方法も編年体ではなく、大きくクローズアップされていたのが「スターシステム」でした。
 アトム、ブラック・ジャック、サファイヤ(リボンの騎士)など、歴代のキャラクターを「スター」と位置づけての展示は実に見応えのあるものでした。
 
手塚先生の功績としてよく語られるのは、映画的なコマ割りの発展的用法と定着がよく挙げられます。戦前の漫画は描き割りの前でキャラクターが演じるよう舞台劇的なコマ割りでしたが、手塚治虫の「新宝島」はロング、アップ、切り返しなど、すでに映画で定着していたカメラワークを導入することによって表現の幅を拡げたのです。
 これによってより複雑な心理表現を含んだ「ストーリー漫画」が大きく発展し、後続の若手漫画家に多大な影響をあたえた結果、現在の漫画文化の隆盛があります。それで「ストーリー漫画を定着」みたいな言われ方をすることも多いのですが、展示を見ていると「ストーリーとキャラクター、コマ割り」が三位一体となって新しい表現を開拓していったのではないか、と思えるのです。展示では、スターシステムが手塚先生の幼少から親しんでいた宝塚歌劇団の影響だという重要な指摘がされていました。映画の影響とされることが多いのですが、先生の漫画がもつ時代の先取り感は、戦前の近代都市だった宝塚の風土・文化によるものとされていて、これもそのひとつと考えるのは合理的です。
 展示では主役級のスターが紹介されていましたが、アニメではむしろヒゲオヤジやアセチレン・ランプ、ハム・エッグなど『
鉄腕アトム』で活躍したバイプレイヤーが印象的で、後に手塚漫画を読みあさったときに「こんなに昔から出ていたのか」という感動を覚えたのを記憶しています。
 かつて主役を演じた手塚キャラたちが一同に介する−−そんな夢のようなオールスターアニメがあります。究極のスターシステムと言えるでしょう。それが1979年にテレビ放映された長編アニメ『
海底超特急マリンエクスプレス』です。

ブラックジャック、ロック、アトム、お茶の水博士、ヒゲオヤジ、サファイア、レオ、写楽保介、ドン・ドラキュラなど、他の作品での主役級やおなじみのキャラたちが勢ぞろい。
 謎の殺人事件から海底を走る超特急内でのサスペンス、そして太古のムー帝国での冒険と、盛りだくさんな物語をそれぞれのスターの個性を彩っていきます。ブラックジャックは医師、アトムは人造人間の役を演じるなど、原典もちゃんと意識しているのが嬉しいところ。当時まだ映像化されていない作品もありましたから、本作で初めてアニメとして描かれ動いて声を発したスターも多く、大きな注目を集めました。
 そんなお祭り感覚が強くなったのは、この作品が日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」の中のスペシャル番組として制作された事情も大きいと思います。第1作目『100万年地球の旅 バンダーブック』に続く第2作目でもあるので、大きく手塚カラーを打ちだしたかったのかもしれません。以後、手塚治虫原作のスペシャルアニメは年1回の風物詩として1986年まで続いていきます(1982年のみ光瀬龍・竹宮惠子原作の『アンドロメダ・ストーリーズ』、1989年には『
手塚治虫物語 ぼくは孫悟空』を放映)。

 24時間続くチャリティー放送の中で、朝10時になるとお昼まではアニメタイム。そんなワクワクする感覚と手塚先生のスターシステムの華やかさは、密接にリンクして記憶されているのです(一部敬称略)。

(C)手塚プロダクション (C)手塚プロダクション・読売テレビ
 (C)手塚プロダクション・虫プロダクション

第51回 手塚治虫先生のスターシステムと『鉄腕アトム』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年06月27日 17:18
来年のお正月はTVアニメ『鉄腕アトム』の50周年にあたります。1963年の元旦に第1話が放送。それまでも海外からの輸入TVアニメやCMベースの国産TVアニメもありましたが、「30分TVシリーズ」ということでは、『鉄腕アトム』から現在のTVを主戦場とするアニメの歴史が始まったと言ってもよいでしょう。
そして1958年生まれの筆者のように、未就学児童のころからTVアニメがあったという世代は、ここからスタートします。
 ただしよく誤解されるのですが、だからと言って筆者は「アトム世代」と呼ばれるのにちょっと抵抗があります。実はアトムって、TVアニメ化時点ですでに連載開始の1952年から11年が経過していました。掲載誌は雑誌「少年」(光文社刊)。
なので「お兄さんの漫画」という印象が強かったんですね。ただし、アニメ版とその商品は自分たち当時の子どもに向けているのは明確だったので、すこし複雑な気分です。
 さて、その当時は漫画の単行本化がそれほど多くなかった時代でした。今から考えると隔世の感がありますが、雑誌に掲載されて、次の号が出たら消えてなくなる漫画の方が多かったのです。ただし原作の『鉄腕アトム』は、同じ雑誌に掲載された『鉄人28号』ともども大人気作品ですから、何度か単行本にはなっていて、アニメ化と平行してカッパコミックスというB5サイズの単行本シリーズが発売されていました。

「鉄腕アトム (1980)」より/(C)手塚プロダクション     「鉄人28号」/(C)光プロダクション/敷島重工
一般家庭はまだ貧しく、漫画に出せるお金の余裕なんてないという時代ですから、これがそろっている友だちはクラスのヒーローあつかいされてました。遊びに行って読ませてもらうと、そこで首をひねるエピソードにぶちあたります。それが『アトム大使』です。何が変かと言えば、アトム自体の設定も違うし、重要キャラクターが死んだりしているんですね。特に「もうひとつの地球」があって同じ人間がいたり、人間が薬で縮小されて消されてしまうというコワイ描写があったり、アトムがロボットだから自分の首を外して置いていくという、医者出身の手塚治虫先生らしいドライで生理的に引っかかる描写も多かったので、読み飛ばすわけにもいきません。
 これは実は1951年から1年間にわたって同誌に連載されていた、厳密に言えば別作品だということが、後に分かります。
『アトム大使』が大人気となった結果、ロボットのアトムやお茶の水博士、天馬博士らのキャラクターをスピンオフさせ、基本的な設定を仕切りなおして長期連載としてリスタートしたのが『鉄腕アトム』というわけでした。当時、あまり詳しい解説もなかったように記憶していますが、非常に混乱したのだけはよく覚えています。
 こうした状況に応じた設定変更は、月刊連載というゆるいペースだったからこそ可能だったのかもしれませんね。1980年版のTVアニメ『鉄腕アトム』では、各話の読み切り感を保持しつつも、全体では「アトム対アトラス」を軸とした大河的な流れを重視するなど、パッケージとしての完成度を意識していますから。
 『アトム大使』と『鉄腕アトム』のようにいったん始めた作品を発展させ、別作品としてスピンオフさせるという手段は、特に日本に限ったものではありません。アメリカのコミックやテレビドラマでもよく使われている手です。そうやって思わぬ人気ものになるキャラクターを育てるという気風があるのです。
 ただし手塚治虫先生の場合は、もう一歩踏みこんだものがありました。それが「スターシステム」です。
これは漫画に登場するキャラクターを「役者」ととらえ、その中でも人気者になったら「スター」として扱うという考え方です。日本の漫画やアニメは手塚治虫先生の強い影響下にありますから、あるキャラを別作品に出したり、世界観をつないでいくという手を使った漫画・アニメは多いです。しかし「スターシステム」がちょっと違うのは、あくまでも「俳優」という何でも演じられるニュートラルな存在として出てくることです。
次回は『海底超特急マリンエクスプレス』という作品で、もう少しこの辺を掘り下げてみましょう(一部敬称略)。

(C)手塚プロダクション