第22回 『劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜』デジタルで生まれかわった映像

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2011年02月04日 10:47

『マクロスF』の劇場へのバージョンアップには興味深い手法が使われています。

(C)2009 ビックウエスト/劇場版マクロスF製作委員会
TVシリーズからHD(ハイデフ)フォーマットで制作さた作品なので、再編集して新作を加えれば映画になる……というほど
単純なものではありません。
30分弱で区切りがあって次回まで1週間空くTV放送と、2時間前後の長時間スクリーンの前に座って闇の中で光と音に身を浸しつつ一気に楽しむ映画とでは、体験が根本から異なります。物語構造・構成から考え直さなければ成立しません。単なる「総集編=ダイジェスト」では済まないわけです。かと言って根本から変えてしまってはTV版のヒットを受けた企画としてもバランスが崩れかねません。
実を言えば、この話は河森正治監督がメカデザイナーから演出家へとなっていったプロセスにも関係しるのです。
TV版『超時空要塞マクロス』の第17話に「ファンタズム」というエピソードがあります。
これはストックがなくなり、緊急に既成のフィルムで1本作らなければならなくなり、河森正治が黒河影次名義で短時間でまとめることになったものです。
直前に第14話「グローバル・レポート」という総集編があるため、もうダイジェストにはできません。
そこで河森氏は「主人公が撃墜されて見た悪夢」というアイデアでまとめることを思いつきました。
(C)1982 ビックウエスト
フィルムの時代なので、セルと背景を組み合わせてカメラワークと処理をつけて撮影してしまえば、変更は容易ではないです。
セルは塩化ビニールの透明シート、背景は画用紙で画材としては絵の具と、物理的な制約に囚われていた素材を撮り直すことになりますが、その余裕さえありませんでした。
口パクと言われるセリフの動きでさえフィルムの上で固定されて動かせない状況下で河森正治はどうしたか。フィルムから逆算して文字数を割り出し、セリフを考えるという手に出たのです。他にも制約があるのを逆手にとり、同じシチュエーションが反復されるなどまさしく悪夢のような飛躍のある演出を、ごく少量の新作カットだけで済ませて難を逃れたのです。これが認められ、本格的に演出家になるための第一歩だったとも聞きました。「フィルムを編集することで価値観を生み出す」というのは映画の本質だから、ということでもあります。
さて、現在のアニメはデジタルで制作されています。撮影は「コンポジット(合成)」というPC上のソフト工程となり、素材もデジタルで保管されるようになりました。そのメリットとして、TVから劇場映画にするときに背景だけを差し替えるなどの流用や変更が容易になりました。複数の登場人物が重なっている場合は芝居を変えたい人物だけ描き変えたり、極端な場合は削除してしまうなど、自由度もかなり上がっています。
『マクロスF』ではこの方法論を駆使し、TVシリーズの映像をアレンジして劇場版に仕立てあげています。分かりやすいのは、第1話に相当するシーンでしょう。アルトが初めてVF-25メサイアに乗って戦ったとき、TV版ではランカだけがいました。劇場版ではシェリルもその現場にいて、三角関係がビジュアル的に強調されています。他にもクラン・クランを学校に描き足したり、さまざまな工夫で似て非なるカットを実現しています。
映像もバージョンアップ。マクロスクォーターの活躍も、構図などは同じですがデザインが一新されていますし、細かいところではバルキリーのコクピットなども、TV版のときには平板に描かれてだったカットに天神英貴による特殊効果で質感が描き足され、劇場の大スクリーンに耐えられるような工夫が随所にほどこされています。
一見同じように思える映像でも、構成や設定を変更し、画像の素材を足したり引いたりした上に、絶妙な箇所に新作を加えることで、印象が一新されているわけです。
劇場版『マクロスF』の独特の雰囲気と熱い映像の流れは、こうした苦心の積み重ねからかもし出されているんですね。比べて見るのも一興でしょう。ではまた次回(敬称略)。