劇場版の完結編「サヨナラノツバサ」が公開中の『マクロスF』。
TVシリーズのときから、ギャラクシー船団における「インプラント」は、ある種の危険をともなう怖い技術として描かれていました。
現実世界で「インプラント」とは歯科医療など身体に埋め込まれる器具のことですが、サイボーグというSFでは
おなじみの言葉を使わないのは、人体改造に忌避感がなくなって、より一般にまで拡がった状況を表現するためでしょう。
そこまで人体の機械化が進んだ未来ということで思い出すのは、士郎正宗原作のアニメ『攻殻機動隊』シリーズです。
2030年代のその未来では「義体」という言葉が使われています。つまり「義手」「義足」と同様、身体を補助する機械化ということですね。電脳の補助によって思考するだけでネットの情報へアクセスし、他人とも会話可能な公安9課のプロフェッショナルな活躍には、便利だなというあこがれもありますが、やはりそれだけでは済まない面が描かれています。記憶や認識の改竄もまた、容易になるという事件のかたちで。
特に最初の劇場映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』では、主人公の草薙素子が身体の機械化を進めすぎて、
アイデンティティへの危機を抱く様が切実に描かれていました。

(C)1995 士郎正宗/講談社・バンダイビジュアル・MANGA ENTERTAINMENT
人と機械の同居によって何が自分なのか、その境界があいまいになっていく。2004年に押井守監督にこうした話題で取材をしたとき、とても興味深い視点が得られました。「携帯電話でネットに常時接続し、メールなどで会話をし続けている現代人は、すでにサイボーグになっている」というのです。「身体に内蔵していようがしていまいが、本質には関係ない」と、押井監督は言い切りました。これは私もそうですが、スマートフォンでTwitterやFacebookにつながりっぱなしの人が増え、ネットへの依存度が高まった現在では、もっと身近に感じていただける発言ではないでしょうか。
便利ではある一方、自分で判断するという主体性を失うリスクも応分に生じるわけです。たとえばカーナビで目的地をセットして車を運転するのは便利で、私も日常的にやっていますが、ふと「これってカーナビに意識を乗っ取られて、運転されているのは自分じゃないのかな」と疑問がわいたりもします。『S.A.C.シリーズ』で描かれているような、ハッキングや義体の乗り換えで生じる自意識のゆらぎに似ています。

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊製作委員会
ここまで考えたとき、アニメを見て楽しむ上でも、ちゃんと自分の頭を使って考えているのかな……と、
急に不安になってきました。
もちろん可能な限り作品を視聴し、自分なりに楽しんではいるつもりですが、Twitterなどで「何が話題なのかな」と気にして優先度を決めることも少なくありません。amazonのベスト10なども参照します。
そうした風評を優先して判断するということは、「みんながネットで話題にしているから面白いに違いない」などいう、価値観の刷り込みも誘発しかねないと、急に怖くなったのです。カーナビにあやつられて運転するように、ネットの風評にコントロールされて作品の良し悪しや好き嫌いを決めるようになっては、本末転倒です。
百人が百通りの多様な判断基準で評価すれば集合知になり得ますが、百人が判断した結果だから集合知として正しい、というのはロジックが間違っています。百回とも同じ全体主義的な価値観がコピペされただけの状態と区別がつかないからです。
劇場版『マクロスF』完結編の取材時、河森正治監督はふと「インプラント技術に潜む意識の刷り込みの恐怖」を口にしましたので、冒頭の話をこうつなげるのも的外れではないと思います。
アニメでサイボーグにたとえられて描かれている危機感って、身近なものかも。時には飛躍をおそれず、そんな風に大胆に考えてみることも、無責任な価値観にハッキングされる悲劇への自衛手段かもしれませんね。
ではまた次回(敬称略)。
第24回 『マクロスF』『攻殻機動隊』サイボーグ化が象徴する現代の危機感
[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ]
2011年03月11日 13:26
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