第30回 新海誠監督作品にみるピュアな映像表現の魅力

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2011年06月03日 12:26

新作映画『星を追う子ども』が話題の新海誠監督。
今回は第28回でとりあげた『ほしのこえ』に続いて発表された劇場映画を通じ、その魅力を探っていくことにしましょう。
 新海誠作品では、いつも淡く描かれた雲と鮮やかな夕陽など、美しい光で彩られた風景が印象に残ります。

その表現は技術的には背景画と撮影効果のあわせ技を使い、
デリケートでありつつ、力強く心に迫ってくるパワーをそなえています。
 そしてテーマ的には、「誰か他の人に対する強い想い」が必ず中心に位置しています。その心の力とは、はたして時間や空間など物理的な《障壁》を乗り超えられるのか。そうした課題が、物語の中で問いかけられるという共通点があります。 この「風景と心」は、けっして別々に表現されているわけではありません。アニメーション映像の素材は「絵」ですから、風景も「何に注目したか」「どう美的に描くか」という人の心が関与したものとして画面に出てきます。そして、言葉と同様に内容や感情を語りかけるように機能するのです。風景がきれいに見えることと、心の問題が純化されて描かれることには強い関係がある。だからこそ言葉では描写不可能な感動に昇華するのだということです。
 そしてアニメは総合芸術ですから、音楽も大きな役割をはたします。

物語と風景とキャラクターの心情を流麗な天門の音楽が橋渡しすることで、アニメでなければ不可能な表現へと高まっていく。
短編『ほしのこえ』ではこうした属人性の強い個人作品ならではの作り方が高い評価を受けたわけですが、2005年に発表された『雲のむこう、約束の場所』は、新海誠監督初の劇場用長編です。

スタッフを集めて作画や背景など制作をおこなう集団作業になったわけです。そんな環境変化の中でもピュアな世界観と物語づくりを損なわず、クリエイター間で共有して作家性を貫ききった手腕は見事なものです。

 物語的には病気で眠り続ける少女と、日本を分断する国境線の向こうに建設された「塔」の関連という《謎》を中心に、
2人の男子高校生の葛藤と救出劇が描かれていきます。美しいだけでなく、銃撃戦などハードな描写も登場。
ほしのこえ』では短編ゆえに雰囲気押しが多いのですが、
率直に言って長編化にともなってキャラクターの心理や行動の根拠が若干、薄くみえてしまう部分もあります。

クライマックスの奇跡含め、人によっては説明不足に感じる部分も多いと思いますが、逆にのめりこんでしまえば、映像がダイレクトにぐっと心に迫ってくるはずです。その意味で、『ほしのこえ』の印象を継承した作品であることは間違いないでしょう。

 人の想いと世界の成り立ちが直結する物語構造は、
1990年代後半から2000年代前半を代表する共通傾向で、そうした「セカイ系」の代表作と評価されることも多い作品でもあります。
しかし、それは否定的な意味ばかりではないと思います。そうした手法でないと描けないものがあるということ。
商業アニメの文脈と異なるところから登場した作家ですから、そこにも価値があるはずです。
そんな独自の表現と存在感を、存分に味わってみたいですね。では、また次回(敬称略)。