第41回 イラスト並みの高密度作画を具現化した劇場映画

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2011年11月14日 14:10
 「見放題全作品リスト」でマクロスシリーズって、「ま」のところに固まっているんですね。
そこには『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』('84)も登録されていて、嬉しくなりました。
これは「アニメのハイクオリティ化の歴史」を考える上で必見の作品と言えるでしょう。

 「版権」という業界用語があります。アニメ本編で使われるものとは別に描きおろされたセルやイラストの総称で、
大本は菓子や運動靴などアニメの商品用にスタートしたもの。
当初、版権用の描き手は本編スタッフとは別に専門職が用意されていました。そのころのアニメは子ども向けという認識だったので、キャラのニュアンスがテレビと多少違っても、あまり気にされていなかったのです。
 ところがアニメ専門雑誌が創刊される1977〜1978年ごろに、事情が大きく変わり始めます。
中高生以上がアニメ商品を買うことになった結果、キャラクターデザイナーや作画監督など絵柄のニュアンスが重視され、オリジナルスタッフが版権イラストを描く機会が増えていくのです。
 そんな「版権」は止め絵ということで、動くフィルムを意識したアニメ本編とは異なる密度感で描かれることが多くなりました。たとえばキャラクターはカゲ指定をもう一段深くつけ、場合によってはBL(ブラック)でニュアンスをつける。メカでは設定書では簡略化されたディテールやマーキングなどを、現実の兵器に即して描き足す。こうした描きこみは、サービス精神の現れでした。
 ところがそういう時代になってしばらくすると、今度は「画の重み」(前回「クオリティ」の定義としたもの)が版権と本編で違っていることが、新たに気になり始めるわけです。
TVシリーズ『超時空要塞マクロス』のヒットを受けて劇場版の制作が完全新作ベースで決まったとき、劇場の大スクリーンに耐えるクオリティをという議論とともに、おそらくこの暗黙の欲求にどう応えるかが大きな問題になったはずです。

 当時24歳だった河森正治監督(石黒昇と共同)を筆頭に、20代の若いスタッフたちはこの『愛おぼ』で、全編を通じて「版権」並みの描き込みをエネルギッシュに敢行しました。イラストのように細かく描きこまれたリン・ミンメイが鮮やかに動き、ディテールたっぷりの背景の前で歌い、しかもそれがホログラムのような未来感覚あふれるステージ演出でショーアップされる。さらに作画監督の板野一郎はTVシリーズをはるかに上回る密度とスピード感でメカや爆発、ビームなどのエフェクトを濃密に描きぬき、巨人族とバルキリーの戦闘で板野サーカスを見せる。交戦シーンがステージ上の歌唱と交錯するとき、一種のグルーブ感が生じていきます。
 それは明らかにレベルが違う「ハイクオリティ時代」の到来を告げる映像でした。高密度な映像が歌や音楽との相乗効果で爽快感をもたらすという芸風は、そのまま『マクロスF』にも受け継がれていますが、今にして思えば情報に情報を重ねていくことで、相互の共鳴作用が「厚み」を出すということが狙いだったのでしょう。単純に情報の量を増やすことだけに意味があったわけではないことは、強調しておきたいことです。
 この1984年は、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』や宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』とアニメ映画が豊作で、しかも時代を変革させる性質のものばかりでした。しかも前年末でOVA時代が幕を開け、高額だったビデオソフトの購入動機という観点でも、いっそう「クオリティ」が問われていくようになります。そんな時流の中で『愛おぼ』は、ハイクオリティという観点でひとつの頂点を描きぬいた映画だったのではないでしょうか。では、また次回(一部敬称略)。