第46回 メディア芸術祭の大賞を受賞した『魔法少女まどか☆マギカ』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年02月24日 23:57
『魔法少女まどか☆マギカ』が月額1000円作品の仲間入りと聞いて、非常に感慨深いものがありました。
このタイミングは、実に運命的だと思えます。それは、ちょうど平成23年度[第15回]文化庁メディア芸術祭の受賞作品展が東京・六本木の国立新美術館において開催中だからです(2月23日〜3月4日)。今回のアニメーション部門で『まどか☆マギカ』がTVシリーズのオリジナル作品としては初の大賞を受賞しています。

この賞は人気投票ではありませんので、筆者も審査委員のひとりとして「メディア芸術」の観点で「この作品はどういう位置づけにあるのか」ということを、真剣に考えました。もちろん劇団イヌカレーによる魔女や異空間のコラージュ表現など、絵的なルックや視覚表現が直接的にアート的な部分も多い作品ですが、それだけではないと思います。トータルで最先端の「アート」だと思える部分が多々あり、それが大賞にふさわしいという審査委員の総意に集約したと思っています。
そもそもの話をすれば、「魔法少女」というジャンルムービー(アニメ)は、よくも悪くも非常に節操がないものでした。大本は1960年代に『奥さまは魔女』や『かわいい魔女ジニー』などアメリカのTVドラマのシチュエーションコメディを、子ども向けアニメとして翻案したところから、その歴史はスタートしています。やがてそれがTVアニメ文化の発展とともに「変身」という要素を取り入れてアイテムの商品化に結びつけたり、あるいは怪人との戦闘やチームプレイという特撮的なアクション要素を吸収して、大きな支持とともに発展していきました。
そこには連綿と受け継がれてきた大きな「文脈(コンテクスト)」が、確実にあるのです。アートというものを考えるときには、このコンテクストをどう受け継ぐか、それを踏まえてさらにどう未来へ向けて更新するかが大きな焦点となります。
まどか☆マギカ』は魔法少女ものの幾多もの「お約束」をざっくりまとめた上で、物語上のギミックとして実にうまく逆用しています。マスコット的なかわいいキャラが「魔法少女になる契約」をもちかけること−−ある種のデフォルトとして観客がスルーしてしまうことを前提に、大きなトラップを仕掛けていることなどが、その典型でしょう。
 
そしてポイントは、それを単なるギミックに終わらせていないことです。中世の「魔女狩り」の例でも分かるとおり、使い魔との契約は、もともと人間性の根幹を揺るがす恐ろしいものなのです。そして魔女的なもの以前の問題として、「大きな力の獲得」は無償であるはずがない。それも幾多の神話で描かれてきたものです。こうした魔法少女以前までさかのぼる系譜をきちんと押さえているところが大きなポイントです。
 
大いなる流れ、コンテクストをふまえた『まどか☆マギカ』のストーリーは、クライマックスでは単なるビックリ箱の仕掛けを超えて、一度どん底まで落ちた後から「奇跡」という、現代では安売りされがちな言葉の本質を照射しつつ、感動の高みへと観客を導いていきます。それは現代の閉塞へのクリティカル(批評的)な姿勢を示しつつ、人の生きざまを根底から変えるぐらいのパワーの大きさを示しています。華麗なビジュアルとともに、誰もがそれを獲得しうるだろうと、普遍的な落着点に結びつけています。こうした感動が多くの人の魂に根をおろせば、きっと現実をも変えうるパワーにつながっていくことでしょう。
「アート」というのは語源的には単なる「人工物」という意味から始まっています。その「人の手によって変えうるもの」とは何なのか、アートが示す意味とは何か。『まどか☆マギカ』は、そういうことを考えさせてくれるメディア芸術の最先端なのです。
これから初めてご覧になる方も、この機会に再視聴される方も、自分たちが大きい流れの中にいて、人の手で何かを変えうるという観点で、本作を楽しんでいただけたらなと願っています。では、また次回(一部敬称略)。

(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS