第49回 石黒昇監督と『鉄腕アトム』の深い関係

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年04月23日 11:31
この3月に急逝されたアニメ監督・石黒昇さんの話をもう少し続けさせてください。
日本のアニメ史が1963年1月から始まった30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』で大きく発展したのは周知の事実です。来年で50周年を迎えるこのアニメ版『アトム』と石黒さんにも深い関わりあいがあります。
 最初の『アトム』は4年間にわたって放送されたほどの人気番組でしたが、モノクロ作品のめ再放送がされなくなり、70年代に入ってから顧みられなくなっていきます。何度かカラーのリメイク企画もあったようですが、実際にリメイクが実現するのは1980年10月と80年代初頭となります。その監督が、石黒昇さんでした。

(C)手塚プロダクション
 その直前、石黒さんは1980年3月公開の映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(監督:手塚治虫、杉山卓)に参加。ここではアニメーションディレクター(中村和子と共同)として、特撮的なエフェクトを中心に画期的な技法を次々に投入しています。実写の爆発を合成するという素人目にも分かりやすいテクニックもありますが、あらためて注目したいのはまるで後のCGのように見える映像の数々でしょう。
 たとえば宇宙船が回転するカットでは手描きにしては崩れのない正確さが際立ちます。これは「ロト・スコープ」と呼ばれるもの。
本来は人間の演技をアニメーションに持ちこむため、実写で撮影したものをトレスする技法ですが、それをミニチュアに応用するところが石黒さんらしい発想でした。他にもスリットスキャンという機械的にストロークを反復した光を積みかさねる技法や、スキャニメイトという電子回路で映像を幾何学的に加工する「アナログCG」にも位置づけられる映像なども多用され、セルアニメとは違うひと味が映像に加わっています。
 1980年版『鉄腕アトム』のオープニングにも、その一部が応用されています。メインタイトルではスキャニメイトを使ってロゴを回転させていますが、通常だとビデオ合成で画質が荒れるところが、透過光に置き換えられていて驚きます。どうやって撮ったのかついに聞き漏らしましたが、有名作品のネームバリューに甘んじることなく、未来につなげようという石黒さんらしい挑戦的な意欲が端的に出ていて、あらためて感心しました。

(C)手塚プロダクション
 石黒さんは日本大学芸術学部映画学科を卒業、1964年提出のその卒論は「テレビアニメーションの将来」という先駆的なものでした。『アトム』が作られて間もなくのことであり、そんな研究に意味があるかどうかさえ定かでない時代です。『アトム』のオンエアをメモ書きでチェック、原作と比較しながらシナリオ、演出、作画を評価し、さらには虫プロダクションの制作現場に足を運び、担当演出家に取材をしながら書き上げたと言います。漫画単行本ですら一般化していない時期ですから、乏しい資料とオンエア一発勝負の検分だけで克明な研究をしようという開拓者的情熱には、敬服するしかありません。そのときの分析は、80年版の監督をするにあたっても非常に役だったことでしょう。
 大学卒業後、アニメーターとしてもモノクロ版『鉄腕アトム』に参加した石黒昇さんですが、早くから原画マンとなり、ビル街を空撮したイメージの背景動画(バックをすべてアニメーションとして動かす技法)が認められたことが、非常に印象的だったそうです。こうした作画は枚数節約のためにリピートするのが一般的でしたが、ずっと描き送りで視点を移動させていく石黒作画には、やはり実験精神が活きています。
 80年版のリメイク『アトム』のオープニングにも、類似の背景動画による空撮カットがあったので、このことを思い出しました。それはアニメ第1作を受け継ぎ、未来に向けてアトムを飛翔させてみたいという思い入れをこめた映像だったのでしょうか。アニメが文化である以上、「つくって消費されておしまい」であってはならないのです。石黒昇さんの仕事を振りかえったとき、至るところにこうした継承性が感じられます。そして、自分も何かを受け継ぎ、語り継がねばと身の引きしまる想いがするのです(一部敬称略)。