第51回 手塚治虫先生のスターシステムと『鉄腕アトム』

[  カテゴリ  氷川竜介のチャンネル探訪  ] 2012年06月27日 17:18
来年のお正月はTVアニメ『鉄腕アトム』の50周年にあたります。1963年の元旦に第1話が放送。それまでも海外からの輸入TVアニメやCMベースの国産TVアニメもありましたが、「30分TVシリーズ」ということでは、『鉄腕アトム』から現在のTVを主戦場とするアニメの歴史が始まったと言ってもよいでしょう。
そして1958年生まれの筆者のように、未就学児童のころからTVアニメがあったという世代は、ここからスタートします。
 ただしよく誤解されるのですが、だからと言って筆者は「アトム世代」と呼ばれるのにちょっと抵抗があります。実はアトムって、TVアニメ化時点ですでに連載開始の1952年から11年が経過していました。掲載誌は雑誌「少年」(光文社刊)。
なので「お兄さんの漫画」という印象が強かったんですね。ただし、アニメ版とその商品は自分たち当時の子どもに向けているのは明確だったので、すこし複雑な気分です。
 さて、その当時は漫画の単行本化がそれほど多くなかった時代でした。今から考えると隔世の感がありますが、雑誌に掲載されて、次の号が出たら消えてなくなる漫画の方が多かったのです。ただし原作の『鉄腕アトム』は、同じ雑誌に掲載された『鉄人28号』ともども大人気作品ですから、何度か単行本にはなっていて、アニメ化と平行してカッパコミックスというB5サイズの単行本シリーズが発売されていました。

「鉄腕アトム (1980)」より/(C)手塚プロダクション     「鉄人28号」/(C)光プロダクション/敷島重工
一般家庭はまだ貧しく、漫画に出せるお金の余裕なんてないという時代ですから、これがそろっている友だちはクラスのヒーローあつかいされてました。遊びに行って読ませてもらうと、そこで首をひねるエピソードにぶちあたります。それが『アトム大使』です。何が変かと言えば、アトム自体の設定も違うし、重要キャラクターが死んだりしているんですね。特に「もうひとつの地球」があって同じ人間がいたり、人間が薬で縮小されて消されてしまうというコワイ描写があったり、アトムがロボットだから自分の首を外して置いていくという、医者出身の手塚治虫先生らしいドライで生理的に引っかかる描写も多かったので、読み飛ばすわけにもいきません。
 これは実は1951年から1年間にわたって同誌に連載されていた、厳密に言えば別作品だということが、後に分かります。
『アトム大使』が大人気となった結果、ロボットのアトムやお茶の水博士、天馬博士らのキャラクターをスピンオフさせ、基本的な設定を仕切りなおして長期連載としてリスタートしたのが『鉄腕アトム』というわけでした。当時、あまり詳しい解説もなかったように記憶していますが、非常に混乱したのだけはよく覚えています。
 こうした状況に応じた設定変更は、月刊連載というゆるいペースだったからこそ可能だったのかもしれませんね。1980年版のTVアニメ『鉄腕アトム』では、各話の読み切り感を保持しつつも、全体では「アトム対アトラス」を軸とした大河的な流れを重視するなど、パッケージとしての完成度を意識していますから。
 『アトム大使』と『鉄腕アトム』のようにいったん始めた作品を発展させ、別作品としてスピンオフさせるという手段は、特に日本に限ったものではありません。アメリカのコミックやテレビドラマでもよく使われている手です。そうやって思わぬ人気ものになるキャラクターを育てるという気風があるのです。
 ただし手塚治虫先生の場合は、もう一歩踏みこんだものがありました。それが「スターシステム」です。
これは漫画に登場するキャラクターを「役者」ととらえ、その中でも人気者になったら「スター」として扱うという考え方です。日本の漫画やアニメは手塚治虫先生の強い影響下にありますから、あるキャラを別作品に出したり、世界観をつないでいくという手を使った漫画・アニメは多いです。しかし「スターシステム」がちょっと違うのは、あくまでも「俳優」という何でも演じられるニュートラルな存在として出てくることです。
次回は『海底超特急マリンエクスプレス』という作品で、もう少しこの辺を掘り下げてみましょう(一部敬称略)。

(C)手塚プロダクション