ちょうど前回の原稿を書いた直後、世田谷文学館で開催されていた「史上最大の手塚治虫展」に行ってきました(7月1日で終了)。
1928年に誕生、1989年に没するまで膨大に生み出した画業に加え、少年時代に書かれた昆虫のスケッチも展示。
ペンネームは本名に「虫」を追加したほどの昆虫好きというエピソードを知っていると、ぐっと来るものがあります。
そして展示方法も編年体ではなく、大きくクローズアップされていたのが「スターシステム」でした。
アトム、ブラック・ジャック、サファイヤ(リボンの騎士)など、歴代のキャラクターを「スター」と位置づけての展示は実に見応えのあるものでした。
手塚先生の功績としてよく語られるのは、映画的なコマ割りの発展的用法と定着がよく挙げられます。戦前の漫画は描き割りの前でキャラクターが演じるよう舞台劇的なコマ割りでしたが、手塚治虫の「新宝島」はロング、アップ、切り返しなど、すでに映画で定着していたカメラワークを導入することによって表現の幅を拡げたのです。
これによってより複雑な心理表現を含んだ「ストーリー漫画」が大きく発展し、後続の若手漫画家に多大な影響をあたえた結果、現在の漫画文化の隆盛があります。それで「ストーリー漫画を定着」みたいな言われ方をすることも多いのですが、展示を見ていると「ストーリーとキャラクター、コマ割り」が三位一体となって新しい表現を開拓していったのではないか、と思えるのです。展示では、スターシステムが手塚先生の幼少から親しんでいた宝塚歌劇団の影響だという重要な指摘がされていました。映画の影響とされることが多いのですが、先生の漫画がもつ時代の先取り感は、戦前の近代都市だった宝塚の風土・文化によるものとされていて、これもそのひとつと考えるのは合理的です。
展示では主役級のスターが紹介されていましたが、アニメではむしろヒゲオヤジやアセチレン・ランプ、ハム・エッグなど『鉄腕アトム』で活躍したバイプレイヤーが印象的で、後に手塚漫画を読みあさったときに「こんなに昔から出ていたのか」という感動を覚えたのを記憶しています。
かつて主役を演じた手塚キャラたちが一同に介する−−そんな夢のようなオールスターアニメがあります。究極のスターシステムと言えるでしょう。それが1979年にテレビ放映された長編アニメ『海底超特急マリンエクスプレス』です。
ブラックジャック、ロック、アトム、お茶の水博士、ヒゲオヤジ、サファイア、レオ、写楽保介、ドン・ドラキュラなど、他の作品での主役級やおなじみのキャラたちが勢ぞろい。
謎の殺人事件から海底を走る超特急内でのサスペンス、そして太古のムー帝国での冒険と、盛りだくさんな物語をそれぞれのスターの個性を彩っていきます。ブラックジャックは医師、アトムは人造人間の役を演じるなど、原典もちゃんと意識しているのが嬉しいところ。当時まだ映像化されていない作品もありましたから、本作で初めてアニメとして描かれ動いて声を発したスターも多く、大きな注目を集めました。
そんなお祭り感覚が強くなったのは、この作品が日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」の中のスペシャル番組として制作された事情も大きいと思います。第1作目『100万年地球の旅 バンダーブック』に続く第2作目でもあるので、大きく手塚カラーを打ちだしたかったのかもしれません。以後、手塚治虫原作のスペシャルアニメは年1回の風物詩として1986年まで続いていきます(1982年のみ光瀬龍・竹宮惠子原作の『アンドロメダ・ストーリーズ』、1989年には『手塚治虫物語 ぼくは孫悟空』を放映)。
24時間続くチャリティー放送の中で、朝10時になるとお昼まではアニメタイム。そんなワクワクする感覚と手塚先生のスターシステムの華やかさは、密接にリンクして記憶されているのです(一部敬称略)。
(C)手塚プロダクション (C)手塚プロダクション・読売テレビ (C)手塚プロダクション・虫プロダクション
第52回 手塚治虫先生のスターシステムと『海底超特急マリンエクスプレス』
[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ]
2012年08月06日 10:19
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